2012年2月21日火曜日

番組ロケ。「近畿は美しく・湖東三山」


「近畿は美しく」は毎日放送制作の関西ローカル番組。
いま、思いだしても楽しい取材の毎日だった……ほんとうに。


構成も絵コンテもない……その場で、風景を見つけて撮影をしながら組み立てる。
「1カット、いっときましょか……」
「そやね……あの道、逆光やね……あの光でレポーター、歩いてもらおうか……」
勿論、監督の頭の中にはだいたいの設計図があるので、基本的な「ネタ」はカッチリと撮影するが、それ以外は自由に撮影して、インタビューをする……
監督の指先が作りだす編集のテンポと音楽のリズムが組合わさると、あっと驚くほど上品な番組に仕上がるのだ。



十河監督とリポーター、そして毎日放送の関君。
ロケ車は撮影スタッフと照明チームの2台体制で東西南北へ……

監督は最近「わが心の歌舞伎座」という映画で海外の映画祭にも招待されていた。
素直な紳士で、仕事熱心な関君。いい撮影をするキャメラマンとして。いま関西では引っ張りだこ。



村祭りの日には、早々に撮影を切り上げて大急ぎで参加。
夜店を端から端まで丹念に見て歩くのが礼儀。
リンゴ飴、ベビーカステラ、トウモロコシ、たこ焼き、お好み焼きは定番。
水飴を練るCA君。技術の連中はなぜかリポーターに親切……


突然の風邪で監督はダウン。


ぶっ倒れた監督に「大丈夫ですか〜」と声を掛けながらも、
その横でカメラを廻し、10カットは稼ぐ僕たち……
その後、監督はユンケル2本で回復。



「この青空バックで撮影しましょう」と一言つぶやくと、1分も立たないうちにカメラも照明もスタンバイ完了。風のように機材を組み立てる「奴ら」だった。




お祭りではお祭りに遊び、風に吹かれれば歌をうたい……
桜のしたで車座になってお弁当をひろげ、一面の落葉には、その上で転げ廻る……
山の人に山の仕来りを聞き、海の人には波の高さを教わる……
青春という風があるなら、間違いなくこのスタッフ達は胸いっぱいにその風を吸い込んだに違いない……



もう一度、こんな「奴ら」と仕事をしてみたいと……今でも思う……
俺ひとりが遠くに来てしまったのか……待っていれば来るのかな……


2012年2月16日木曜日

世界遺産にて。「ラベンナ」


ボローニャから車で2時間半のラベンナは小さな町。
この町の世界遺産、サンビターレ聖堂は心から素晴らしいと思た。









素朴であるが故に上品、上品であるが故に清楚。
絵画、装飾の数々は、神への賛美を忘れてはいないが、その見返りを求めない気高さに溢れていた。






「ダンテが追放されて辿り着いた町だよ」と話しながら、コーディネイターの岩倉さんは
スタスタと歩き回る。彼はこの町が好きなのだという気配が身体中から漲っている。









奈良のように乾いた佇まいが素晴らしい。
岩倉さんとの長い付き合いはこのラベンナから始まった……

2012年2月14日火曜日

番組ロケ「近畿は美しく・新宮」


「近畿は美しく」は関西のローカル番組。
素晴らしい番組だった……この番組を撮影していなかったら、
僕はTBSの「世界遺産」に参加することはなかったと思う。


和歌山県 新宮の奇祭「お燈祭り」。http://ja.wikipedia.org/wiki/御燈祭
祭りに参加する男たちは、早朝から海で禊をする。(結構寒いのだよ……)
毎日放送からは、お祭りの実況中継をするためにアナウンサーの来栖君が参加。
「あの、太平洋の海……来栖君、寒いなんてもんじゃなかろうな……」


必死で祭りの実況中継を担当する来栖君……
千人あまりの男が松明をもって集まる、それはそれは異様な風景……
撮影している僕たちは高見の見物だけれど、燃えさかる紅蓮の炎のなかで、
来栖アナウンサーは素晴らしい仕事をした。
「熱いなんてもんじゃなかったろうな〜」


しかし……祭りを撮るほど、アホらしいものもない。多少は血が騒ぐものでございます。



祭りが終わったら、新宮のスナックを借切って大騒ぎ。


早朝から冷たい海での禊で震えあがり、祭りの最中は紅蓮の炎の中で実況中継。
そして夜はスナックでドンチャン騒ぎ。
「騒がしいなんてもんじゃなかったろうな〜」



撮影は心の底から楽しかったが、放送された番組も素晴らしかった。

来栖アナウンサーは才能のある人物で、品格ともに全国ネットで活躍できるセンスと力があって、戦いの場さえ得られたら必ず頭角を表すと思った。

現場でスタッフが楽しく活躍した取材は、いい番組に仕上がっているもんだね。


2012年2月10日金曜日

誕生日のプレゼント。


誕生日にプレゼントを頂くのは、なんとなく「重 荷」だけれど、和紙作家の堀木さんからいただいたプレゼントは物凄く「軽 量」で嬉しかった……ゴム動力で長時間、飛んでいるインドアプレーン。



堀木さんがこれを選んだという、その気持ちがうれしいじゃないか。
この「選 ぶ」という所作が「プレゼントの本質」であって、義理チョコなんて論外だ。



模型の飛行機をみると……
子供の頃、天井から吊るされていたブリキの飛行機を思いだす。スイッチを入れるとプロペラが回ってグルグルと廻り続ける……ほとんど寝たっきりの2年間、その飛行機ばかり見ていたような記憶がある。
海外取材に行くようになって、その天井から吊り下げられていたブリキ旅客機の垂直尾翼の色が、ノースウエスト航空の塗装であることが判った……ちょっとした感動だった。

ブリキのノースウエスト。
医者から、もう長く生きないと宣告された息子のために、父が買ってきたおもちゃだった。

2012年2月7日火曜日

ドキュメンタリーの時代 「堺市倫理条例にて」


堺市の「倫理条例」が可決されるまでの、市民の活動を追った毎日放送の「映像80」というドキュメンタリー番組の撮影だった。




リポーターは斉藤さん。
毎日放送のアナウンサーで、有名な番組「ヤングオーオー」で全国的に名を知られた方だった。最近のアナウンサーはすっかり、ちゃっかり芸能人だけれど、斉藤さんは「伝える」ことを忘れない、立派な見識を持った「ジャーナリスト」でもあった。様々な番組を忙しく担当されていたが、「伝え方」、「伝える」ことの意味を忘れてはおられなかった。
伝統あるいは社風というのだろうか、毎日放送のアナウンサーは、ジャーナリスティクだった。一部を除いて。(笑)



テレビ番組というのは不思議なもので、ナレーションの声質、読み方でプラスマイナス15%ほども変ってしまう。それほどナレーションは大事なもの。
「世界遺産」では寺尾さんのナレーションで救われていた場面がどれほどあったろうか。その寺尾さんを降板させてしまう放送局のセンス、その後に登場した歌舞伎俳優の起用は随分と無理があった。世界遺産は寺尾さんの降板から失速し始めたと思う。

……海外取材から帰ると、精魂込めて撮影したあるスペシャル番組のナレーターが元アイドル(知らないよ)だった。何故その人選になったのかと聞くと、局の推薦だったとか……それも営業から……視聴率がとれるから……抵抗できなかったという。
「わたしは心のそこから優しい人なんです」が丸出しの読み方、おまけに漢字を知らないようだ。僕は心底ガックリした……視聴率もそれほどではなかった。起用するのに何か別の力が動いていたような……放送局でクリエィティブはもう無理な話しなのだ。

倫理条例。僕は素晴らしいと思ったが、驚いたのは共産党が他の政党と一緒になって強力に反対していたこと。共産党はこの時代には(実はいつの時代でも……)機能していないと思った。

2011年12月27日火曜日

アイスクリーム屋さんのベンチ。

虎ノ門・神谷町にあるSOWA
地下鉄日比谷線・神谷町駅3番出口からすぐ。
なんと言っても安くて美味しい。昔は待ち合わせで有名な、六本木の有名な喫茶店におろしている。こんな店は500年ぐらいは続くような気がする。


ご近所なので、眠くなったらソッ〜と抜け出してはこのお店に。
こんなにソフトクリームを日常生活に取り込んでいるのは、
オブザアイとアメリカ軍ぐらいだと思う。

アメリカ軍とアイスクリームは切っても切れない関係で、
熱帯雨林の前線基地にもGEの巨大な冷蔵庫がデ〜ンと据えてあり、
その中には必ずアイスクリームが常備されていた。
海軍では巨大な空母の食堂と売店にもアイスの店が……


このお店の前においてあるベンチがいい。

周りはビルに囲まれていて、
景色がそれほどいい訳でもないのだが、
「気」がいいのか……ここに座って食べるアイスは最高。


神谷町から飯倉にかけては、なんとなく「気」がいいと思うが、
隣の霞ヶ関あたりはそれほどでもない……
政府の建物が多いからか、そこで働く人達の「気」が弱いのか。
ガードマンと警察官が多すぎる……

警察官の制服はほんとうにセンスがない。
もう少しデザインを考えたらどうなのだろうか……
街にあれほど立っているのだから、もう風景の一部なのだよ。


2011年12月23日金曜日

カメラ昇天す……Canon IXY


メモ代わりのカメラ、また壊れる。
このIXYはスペイン、イタリア、南相馬、オランダ、ベルギー、アメリカ、ペルー、コロンビア、そして再びペルーのラハスで動かなくなった。




 故障はある日、突然に……まったく動かなくなった。
実はそんなことあろうかと、もう一台、IXYを持っていたのだけれど、このカメラもモニターが割れてしまって映像の確認ができなくなっていた。
機内預けにすると放り投げられるから……これで何台目だろう。
少し高くてもいいので頑丈なカメラが欲しいと思う。