2009年3月16日月曜日

世界遺産にて。「野中機長」その1

”空撮はパイロットの腕で決まる”

野中さんは阪急航空のパイロット。私は空撮を単なる説明的な映像(ニュースはそうでなければならない。)ではなく、つまり「高価な脚立撮影」で終わる空撮を、野中さんのお陰で「表現する空撮」として考えられるようになった。
野中さんの凄さを知ったのは「人形浄瑠璃 文楽研修生」を追ったドキュメンタリー番組。文楽研修生とヘリコプターが結びつかず、ヘリを飛ばす理由をデスクに説明するのは四苦八苦。もう一つは「グリコ森永事件」での空撮だった。全国ネットで放送されたその映像は、私がTBSの世界遺産に参加する、遠い遠いきっかけになったのであった。

世界遺産にて。「電車の中吊り」

 ある朝、電車に乗ってフッと見上げると私が撮影した写真を掲載した中つり広告がズラリ。車両の中つり全部が放送の告知だった。
 これはラパヌイ島(イースター島)の夜明けに撮影したカットだった。だだ混み通勤列車で右に押され、左に揺られてもその朝は気にならず、駅に着くまで、既に遠い記憶になり始めたラパヌイの風景を想いだしていた。
 僕の記憶は、誰かを待っているような物悲しいモアイを巡り、砂埃の舞う道と夏草をかすめ、気がつくと島を取りまく黒く深くい群青の海をたゆたっていた。

2009年3月14日土曜日

世界遺産スタッフルーム。

 ある日電話があった。世界遺産プロデュサーの大野さんからだった。
「京都の世界遺産、ラッシュ見ました。これから本体のキャメラやりませんか?取りあえず来月からイランなんですよ‥…。」ということで僕は世界遺産のスタッフになった。
 関西の放送局の三倍はある巨大なTBS。エレベーターを降りると、辻村さん、大野さん。二人のプロデュサーが笑って立っておられた。お二人とも、僕がローカル局で撮影していた番組を既に御覧になっていて、特に辻村さんは報道特集を担当されていたので、僕のことはご存知だった。「僕たちが後ろで守りますから、エンジン全開で好きにやって下さい。」
その言葉通り僕はお二人には随分と助けていただいた。(僕はこのお二人からプロデュサーの戦略と戦術がどれほど大切なものか教えられた。)

 関西出身のAD、K君に案内されたスタッフルームは、世界遺産の頭脳であるディレクターの部屋で、NHKを始め民放でも最高峰の番組を制作している部署にしては、驚くほど小さな部屋だった。
ディレクターの多くが海外出張中のこの部署を運営しているのは聡明な女性達。とてもいい雰囲気で、なんとなく番組の勢いを感じさせる。女性が元気な会社はだいたいいい仕事をしている。何と言っても「お金」の管理がしっかりしている。(笑)
 
 撮影部は子会社で、世界遺産の機材はこの会社で調達する。当然のことだが新参者には撮影部の”入り口”が容易に見つからないし、組織に馴染ませてくれない。東京ではその傾向が特に強く、予想はしていたが撮影部の壁は「無視」「拒視」「蔑視」となかなか結構なぶ厚さだった。こんな状態の時には焦らず”控えめにデカイ顔”をして時間が経つのを待つしかない。それにしてもスタッフキャメラマンの部署というのは北から南まで不思議なほど同じ空気だ。これと違う空気にすれば、それだけでいい撮影部になるかも(笑)。

2009年3月11日水曜日

青島の旅行鞄。

 父が満州事変の頃に買ったという古い鞄がある。
今の北朝鮮にあった新義州守備隊に兵隊として出征していた父が持ち帰ったもの。鞄のラベルには「青島」とJTBという文字、それに牛の刻印があり、外観もまだ立派で内装も美しい。それに、80年近くも経っているというのに鍵はしっかりと機能しているのだ。それでも、さすがに小さな擦り切れや傷があるので修理ができないものかと大阪の南にあるその鞄屋に持っていった。歴史に名を残す著名人と親交のあった先代の親父さんは亡くなっていて、今は息子が店を継いでいた。
 この鞄は父が遺したもので、満州で買ったものだと経緯を話すと、チラッと一瞥して、
「そんな古いものは修理できません。」と一言。
「これだけ乾いている革に、針を刺したらそこからひび割れてアウト。ある程度、湿ってたら手の出しようもあるけど、こんな乾いてもうた革はどうなるか分かりまへん。こんだけ乾いてたらあかんあかん。反対にうちが弁償や。」
 仕事を断るにしても否定の仕方にムッとなった。と同時にこの店はこの男の代で確実に終わるだろうと思った。生きる道や時間が違うのだから、子供が父親を乗り越えるのは永遠に不可能ではあるが、父親の後を継ぐものは、その技術、信用、何より誠意を獲得するために、父親の三倍は努力をしなくてはならないのだ‥…。

2009年3月8日日曜日

終わってホッと!

このチョコレート台風は結局のところ半年で終息した。終息したのは完璧な営業不足。というかとても手が回らなかったことと、東京ならまだしも、大阪ではこの種の商売は成り立たないという実感。しかし本音を言うと終わって心からホッとした。事故はなかったのだが、シビアな納期と食品を扱う場合の衛生管理はほんとうに大変だった。今でも食品会社の撮影をするとその頃のことが頭をよぎり、磨かれた製造設備や働いている人のことを思う・・。いえ、思えるようになりました。
ところで実用新案は現在進行形ですが、いい線まで行っているそうです。答えが出るまで時間が掛かりすぎるのが残念。
そうそう、儲かったのかどうかというと、ヨットの・・・を買えるぐらい・・。少し儲かったのでありました。

2009年3月4日水曜日

凄いぞ!マスコミの影響力!

凄い!凄い!マスコミの影響力はこんなに凄いのだ!掲載翌日から電話は鳴りっぱなし。いきなりの注文殺到である。それも半端な数ではない!数万個単位、しかも名のある企業ばかりなのだ。
関西方面で人気の球団の優勝記念イベントに!国営だった鉄道会社から乗車記念に!国内最大手の航空会社から海外路線のビジネスクラスのオヤツに!文字フォントの会社から展覧会の記念に!そして演歌歌手のキャンペーングッズにと、大変な反響だった。

印刷会社のT社長は自分の会社に出社せず、自宅からフルタ製菓と印刷屋さん、そしてオブザアイとを行ったり来たり。甘い匂いのたちこめる事務所には一斗缶がどんどん積まれ、机の上に袋や箱が散乱していた。アルバイト君はもちろん、カメラ助手もカメラメーカーの営業マンまで袋詰め作業に駆出されたのであった。

2009年3月2日月曜日

経済記者クラブで発表

数日後、いつも印刷をお願いしているT印刷の社長から電話があった。

「チョコレートに印刷できますよ。」

「へ〜食用インクか?」

「食用インクっていろいろあるんですよ。」

「安全でしょうな?」

「当然ですよ。なんかカルシュウムみたいなのを使うんですって。」

印刷屋さんの目処はついた。チョコレートはフルタ製菓で購入。
あとは宣伝だ!爆発的にヒットしたらどうしよう!
巨大なビルが建ったら、その名前は「チョコラ・ビル」にしよう!
「碁を打つ二人。パシッと打った指先にはチョコレート。
相手がそれを摘んで食べて、ニッコリ」なんてCMはすぐに作れる!
あ〜夢は膨らむばかりだ!
経済番組を取材している関係で、瞬時に経済記者クラブでの記者会見が成立。
堂々の「産經新聞2社面」「日経トレンディ」に掲載されることになったのである!