2012年2月14日火曜日

番組ロケ「近畿は美しく・新宮」


「近畿は美しく」は関西のローカル番組。
素晴らしい番組だった……この番組を撮影していなかったら、
僕はTBSの「世界遺産」に参加することはなかったと思う。


和歌山県 新宮の奇祭「お燈祭り」。http://ja.wikipedia.org/wiki/御燈祭
祭りに参加する男たちは、早朝から海で禊をする。(結構寒いのだよ……)
毎日放送からは、お祭りの実況中継をするためにアナウンサーの来栖君が参加。
「あの、太平洋の海……来栖君、寒いなんてもんじゃなかろうな……」


必死で祭りの実況中継を担当する来栖君……
千人あまりの男が松明をもって集まる、それはそれは異様な風景……
撮影している僕たちは高見の見物だけれど、燃えさかる紅蓮の炎のなかで、
来栖アナウンサーは素晴らしい仕事をした。
「熱いなんてもんじゃなかったろうな〜」


しかし……祭りを撮るほど、アホらしいものもない。多少は血が騒ぐものでございます。



祭りが終わったら、新宮のスナックを借切って大騒ぎ。


早朝から冷たい海での禊で震えあがり、祭りの最中は紅蓮の炎の中で実況中継。
そして夜はスナックでドンチャン騒ぎ。
「騒がしいなんてもんじゃなかったろうな〜」



撮影は心の底から楽しかったが、放送された番組も素晴らしかった。

来栖アナウンサーは才能のある人物で、品格ともに全国ネットで活躍できるセンスと力があって、戦いの場さえ得られたら必ず頭角を表すと思った。

現場でスタッフが楽しく活躍した取材は、いい番組に仕上がっているもんだね。


2012年2月10日金曜日

誕生日のプレゼント。


誕生日にプレゼントを頂くのは、なんとなく「重 荷」だけれど、和紙作家の堀木さんからいただいたプレゼントは物凄く「軽 量」で嬉しかった……ゴム動力で長時間、飛んでいるインドアプレーン。



堀木さんがこれを選んだという、その気持ちがうれしいじゃないか。
この「選 ぶ」という所作が「プレゼントの本質」であって、義理チョコなんて論外だ。



模型の飛行機をみると……
子供の頃、天井から吊るされていたブリキの飛行機を思いだす。スイッチを入れるとプロペラが回ってグルグルと廻り続ける……ほとんど寝たっきりの2年間、その飛行機ばかり見ていたような記憶がある。
海外取材に行くようになって、その天井から吊り下げられていたブリキ旅客機の垂直尾翼の色が、ノースウエスト航空の塗装であることが判った……ちょっとした感動だった。

ブリキのノースウエスト。
医者から、もう長く生きないと宣告された息子のために、父が買ってきたおもちゃだった。

2012年2月7日火曜日

ドキュメンタリーの時代 「堺市倫理条例にて」


堺市の「倫理条例」が可決されるまでの、市民の活動を追った毎日放送の「映像80」というドキュメンタリー番組の撮影だった。




リポーターは斉藤さん。
毎日放送のアナウンサーで、有名な番組「ヤングオーオー」で全国的に名を知られた方だった。最近のアナウンサーはすっかり、ちゃっかり芸能人だけれど、斉藤さんは「伝える」ことを忘れない、立派な見識を持った「ジャーナリスト」でもあった。様々な番組を忙しく担当されていたが、「伝え方」、「伝える」ことの意味を忘れてはおられなかった。
伝統あるいは社風というのだろうか、毎日放送のアナウンサーは、ジャーナリスティクだった。一部を除いて。(笑)



テレビ番組というのは不思議なもので、ナレーションの声質、読み方でプラスマイナス15%ほども変ってしまう。それほどナレーションは大事なもの。
「世界遺産」では寺尾さんのナレーションで救われていた場面がどれほどあったろうか。その寺尾さんを降板させてしまう放送局のセンス、その後に登場した歌舞伎俳優の起用は随分と無理があった。世界遺産は寺尾さんの降板から失速し始めたと思う。

……海外取材から帰ると、精魂込めて撮影したあるスペシャル番組のナレーターが元アイドル(知らないよ)だった。何故その人選になったのかと聞くと、局の推薦だったとか……それも営業から……視聴率がとれるから……抵抗できなかったという。
「わたしは心のそこから優しい人なんです」が丸出しの読み方、おまけに漢字を知らないようだ。僕は心底ガックリした……視聴率もそれほどではなかった。起用するのに何か別の力が動いていたような……放送局でクリエィティブはもう無理な話しなのだ。

倫理条例。僕は素晴らしいと思ったが、驚いたのは共産党が他の政党と一緒になって強力に反対していたこと。共産党はこの時代には(実はいつの時代でも……)機能していないと思った。

2011年12月27日火曜日

アイスクリーム屋さんのベンチ。

虎ノ門・神谷町にあるSOWA
地下鉄日比谷線・神谷町駅3番出口からすぐ。
なんと言っても安くて美味しい。昔は待ち合わせで有名な、六本木の有名な喫茶店におろしている。こんな店は500年ぐらいは続くような気がする。


ご近所なので、眠くなったらソッ〜と抜け出してはこのお店に。
こんなにソフトクリームを日常生活に取り込んでいるのは、
オブザアイとアメリカ軍ぐらいだと思う。

アメリカ軍とアイスクリームは切っても切れない関係で、
熱帯雨林の前線基地にもGEの巨大な冷蔵庫がデ〜ンと据えてあり、
その中には必ずアイスクリームが常備されていた。
海軍では巨大な空母の食堂と売店にもアイスの店が……


このお店の前においてあるベンチがいい。

周りはビルに囲まれていて、
景色がそれほどいい訳でもないのだが、
「気」がいいのか……ここに座って食べるアイスは最高。


神谷町から飯倉にかけては、なんとなく「気」がいいと思うが、
隣の霞ヶ関あたりはそれほどでもない……
政府の建物が多いからか、そこで働く人達の「気」が弱いのか。
ガードマンと警察官が多すぎる……

警察官の制服はほんとうにセンスがない。
もう少しデザインを考えたらどうなのだろうか……
街にあれほど立っているのだから、もう風景の一部なのだよ。


2011年12月23日金曜日

カメラ昇天す……Canon IXY


メモ代わりのカメラ、また壊れる。
このIXYはスペイン、イタリア、南相馬、オランダ、ベルギー、アメリカ、ペルー、コロンビア、そして再びペルーのラハスで動かなくなった。




 故障はある日、突然に……まったく動かなくなった。
実はそんなことあろうかと、もう一台、IXYを持っていたのだけれど、このカメラもモニターが割れてしまって映像の確認ができなくなっていた。
機内預けにすると放り投げられるから……これで何台目だろう。
少し高くてもいいので頑丈なカメラが欲しいと思う。





2011年12月13日火曜日

東京タワー


なかなかいいな〜と思う、東京タワー。
南米から帰ってからは、もっぱら墨田区のスカイツリーとその周辺を撮影していたので、スカイツリーの巨大さに唖然としている毎日だったが、フッと見ると東京タワーが……
「お〜頑張ってるな!」と思わず声をかける。






311で先端はまだ曲がっている……
曲がったままの東京タワーもなんとなくいい。
震災を忘れないためにもそのままでよいと思うのだが。



3月11日。
京都での撮影が終わって、帰りの新幹線に乗っていた時だ。
品川駅を発車した直後にのぞみは急停車。
その途端、物凄い縦揺れと、直後に続く横揺れが特に激しく、
これで僕の人生も終わるのだと覚悟した。

車内放送で震災の情報を聞いた。
遠くの在来線からは人が降ろされて歩き始めていた……
その風景のなんと寂しいことか。
阪神大震災で見た光景が蘇って暗澹たる気持ちだった。





5時間後に着いた東京駅は大混乱だった。
こんな大震災にも関わらず、
それでも遅延証明を配るJRをちょっと見直した。

事務所は虎ノ門なので東京駅からは徒歩。
内幸町も霞ヶ関も大混乱で、
東京駅に向かう人達をかき分けての行軍でヘトヘト。

愛宕通りをトボトボ歩いて、遠くに東京タワーが見えた時には
ほんとうに嬉しかった……






東京タワーの上には月食も……



スカイツリーは砂漠に立つミナレットを思いだして見とれてしまうのだが、東京タワーも独特の品があっていいもんだ。
山梨で生まれ、東京で青春時代を過ごした父に、東京事務所の窓からすぐ近くに見える東京タワーを見せたかった……

2011年12月9日金曜日

カリフォルニア・サリナスにて (報道時代)


モントレー郡サリナスはジョン・スタインベックの生まれたところ。
そこの小さな図書館にスタインベック自筆の原稿を撮影するためにお邪魔した。図書館の司書はとても親切で、それはそれは丁寧な対応で、協力を惜しむことなくすべてがオープンであった。なによりも郷土の誇りである彼を尊んでいる姿勢が気持ちよかった。


労働組合員や特別な政党支持者の多い、日本の図書館では決してお目にかかれない風景であった。借りる人の顔も見ない、蔑んだ表情でありがとうも言わない、まるで30年前の中国の書店員のような……日本の図書館員の対応に接すると、今も決まってサリナス図書館の風景が浮かび上がってくる。