2010年3月12日金曜日

世界遺産にて。「リトアニア Dandelion Way」


 「タンポポの道」は自宅から駅までのリハビリのための道だった。
退院当初、ふらつきながら駅まで歩いた道である。







三月も中旬だというのにまだまだ季節は不安定で、
三寒四温とはいえ
寒さと風の強さには少々まいっていた。
吹き荒れる春風もやがては薫風に成長するのだけれど、
その荒れ様は、
ただ大人になるのを嫌がる少年の最後の抵抗のようでもあった。




しかし退院したばかりの僕にはひどく応えた。
こんな風のなかで生きていけるのだろうかとさえ思った。
「病上がりの生き物」なんて、ひ弱な存在で、
人工都市や薬という防御装置がない大自然のなかだったら、
僕は一瞬にして肉食動物の餌か植物の肥やしになっていると思う。




「タンポポロード」
特別に花や自然が好きだという訳ではない。
リハビリのためにタンポポを避けながら歩く、
これがこの道を選んだ理由であった。

耳朶を過ぎる風はずいぶんと和らいで、歩く早さもあがってきた。
もう季節は大人になり始めたのかも知れない。
これぐらいの季節なら
薬の力をかりてでも生きていけるのかも知れないと思う。





振り返るとたくさんのタンポポが風に揺れていた。
無数の黄色い花と綿帽子、
その一つ一つが僕の忘れてしまった想いでに見えた。



リトアニアの遠くまで続くなだらかな丘陵。
風が渡っていくのがみえる草原には、遥かな水平線までタンポポが揺れている。
ファインダーを覗いたほんの瞬間、少し前の病んでいた自分を想いだした………。

2010年1月15日金曜日

雪風の日

雨で百年、雪で千年。」
 京都の人はビルの建ち並ぶこの時代でも、雨がふれば100年前、雪がふれば1000年前の京都の風情が浮かび上がってくるのだと、目を細めて笑う。確かに現代建築がどれだけ立ち並んでも、ぬぐい去れない都の気配が其処ここに漂っているような…。

今年は雪が多いので撮影にはそれほどヤキモキはしないものの、降り出したら湿った雪がドカ〜ンとやってくる。




 滋賀県の雪、特に北緯35°10を超えてくる雪には要注意なのだ。
それは琵琶湖大橋の北方で、雪風が北緯35°10の線を超えて激しく降りだしたら、絶対にその先に行ってならない。これは熟練パイロットの言葉。
しかしニュースの仕事は雪でも北緯35°10を超えなければならない。行くときは穏やかな天気でも帰りは猛吹雪ということがある。僕はこの35°10の雪風でキャメラマンの友人を亡くしている。もう4秒だけエンジンが止まらずに飛んでいたら助かっていたと思う。
北緯35°10付近の激変する天候を誰も予測することはできない故の事故だった。

2010年1月6日水曜日

佃式魯山人風すき焼。

 京都の賢人が集まって、創作料理をいただく会を時々開催している。
魯山人風すき焼ということで、本式はネギを立てるのだそうだが今回はぶち込み式。なんとも勢いのある鍋になった。



京都の寺町にある肉屋さんにて。


中国産 松茸。





少なくとも京都の人々は優雅な食べ物を食しておられます。

次回は間人の松葉蟹を使った料理です。これが驚くほど安価。

2010年1月1日金曜日

歌舞伎座にて。

 歌舞伎座建替えのため年越しも今年で最後。
木挽町の御神輿も繰出して、賑やかな年越しとなった。









 NHKのゆく年くる年の中継もあって、歌舞伎座の熱気は極寒の東銀座を熱くする。
ちょっと意外だったのは、あのNHKの中継班の紳士的な態度。以前は必ず現場で一悶着あったものだが‥…。

2009年12月31日木曜日

09年末 虎ノ門の31日。


12月31日はさすがにいつもの道路はガラ〜ンとして、驚いたのは車や人が極端に少なくなると、急速に街が冷えてくること。






遠い昔、人がいなくなった街を歩いたことがある。それは有名な炭坑の島で、長崎県にある端島(通称 軍艦島)という閉山になった島だった。朽ちていく高層ビル群に生きていたのは犬と猫、そこに2日滞在した。この島で会社を辞めることを決意した。





モノトーンになった街で色づいているのは落ち葉だけ。
ダウンの温もりが今日はとてもありがたい。

「今日の言葉」

炭坑 炭坑の島 長崎県 端島 軍艦島 閉山 高層ビル

2009年12月22日火曜日

インディアンカレー

大阪の堂島は毎日、朝日の新聞社発祥の街。
毎日新聞大阪本社の前にある階段は堂島地下街に直結していた。
企業の本社がまだ大阪にあった頃の地下街は、まるで通勤ラッシュ並の混雑で、歩いていると通勤電車の延長のような気分だった。


この溢れかえる人並みや夜遅くシャッターが降りてガラ〜ンとした地下街は、好景気、不景気、社会問題、教育問題などのニュース企画で使われる、イメージカット撮影には最適の場所だった。
管理事務所の方達とも顔見知りになっていて、
「宜しくお願いします。」
「ニュースの取材ですか。それでは撮影許可の腕章ね」……
あの広い堂島地下街を僕だけの撮影スタジオにしていた。



それなりに忙しい青春をこの街で過ごした僕は、毎日のようにインディアンのカレーを食べていた。
青年の注文は決まって「大もり、全卵!」。

時々、思いだしたように無性に食べたくなるのだが、数年前、そのインディアンが丸の内側のビルに開店した。佇まいはまさしくインディアンで、行列ができるほどではないが結構な繁盛ぶり。しばらく並んで食べることができた。
昔のことを思いだして無意識のうちに「フツーでゼンラン!」と大声で注文すると、客も店員さんも全員僕の顔を見る。そうであるか、ここは東京の丸の内だった……。


 すると年配の店長さんが「おたく堂島の店に来てはったでしょう?」と聞いてきた。
おお!なんと堂島地下街のインディアンにおられた店員さんだった。
「新聞関係の人はだいたい全卵って言いはりましたな〜」と懐かしそうに……。
全卵とは白身も黄身も入れること。


店長が出勤のときには「ぜーんーらーん!」と最近は堂々と大声で注文している。(笑)

(今日の言葉)
インディアンカレー 毎日新聞社 朝日新聞社 堂島地下街 丸の内
 

2009年12月15日火曜日

ゴムの木。

 人生で初めて描いた油絵は三日で仕上がった。
友人の薦めもあって、何気なくそれをある有名な美術展に出品したら、なんと入選してしまった。題材は「ゴムの木」。
どう見ても背景の描きかたは幼稚だけれど、熱意と集中力だけで審査員を動かしたのだと思う。その証拠にキャンバスの裏側には白墨で「△」が書いてあり、それを訂正して「入」が。スレスレ入選だけれど意志、熱意が大事なのだとわかった15才の秋。


 虎ノ門から神谷町に向かう交差点に大きなゴムの木が茂っている。(正確にはインドゴムの木か‥…)どのような経緯でそこに植っているのかは知らないけれど、分厚くて豊かな葉を風にゆらしているゴムの木は、見ているだけで気分がいい。

 アルゼンチンの首都、ブエノスアイレス。
有名なアルゼンチンの母、エビータが眠る墓所の前にある公園。そこには見上げるほど巨木のゴムの木があって、その大きさは京都にある青蓮院の楠を思わせる。

 虎ノ門のゴムの木もそれぐらい大きくなればよいのだ。
街路樹もゴムの木にすればいいと思うのだが‥…‥夏は大きな葉で日陰をつくるし、枯れ葉に心を痛める人はいなくなる。それにゴムは工業資材として必要なのだから、街中に植えればゴム資源は不自由しないと思うのだが。(笑)
(インドゴムの木からはそれほどゴムが採れないらしい。)


今日の言葉

虎ノ門 街路樹 ゴムの木 インドゴムの木 
アルゼンチン ブエノスアイレス
アルゼンチンの母 エビータ 神谷町 油絵