2010年5月29日土曜日

サザエ

 
 まったく厄介な病気。ネフローゼ。
4才だったのであまり覚えてはいないが、扁桃腺が腫れて痛くて泣いていた。しばらくすると身体が浮腫みだして、足の裏まで腫れあがって歩くのも辛かった。強烈な倦怠感を覚えている。

風を引いた原因は、冬のある日、いっしょに昼寝をしていた子守りの姉やが寒さのために布団を一人で被ってしまい、僕は布団の外に放りだされていた、と母が言っていた。





 父は仕事で忙しく、母は脊髄カリエスで入退院を繰り返していたので、僕は叔父の家に預けられることになった。会社を経営していた叔父の食卓は毎日が「豊饒」の一言。しかし、僕は塩分一切厳禁。叔父の家族が食卓を囲む隣の部屋で僕はひもじさに耐えていた。そんな僕に叔父が投げてよこしたのがサザエのフタだった。お茶で洗ったフタにはそれでも微かな塩味が残っていて、僕は夢中で畳の上に投げられたフタを吸っていた。
 今でもサザエを見るとその時の光景が目に浮かぶ。犬の子供に餌をやるような目で僕を見ていた叔父は晩年、脳をやられて寝たっきりになった。父と病院に見舞った僕はベッドに横たわって涙を流す叔父を無言で見下ろしていた。

2010年5月25日火曜日

「京都の料理人」 門上さんの小さな写真展。


大阪にある天神橋筋商店街は日本で一番大きな商店街。
その賑やかな通りをぬけて、昔の大阪の匂いが残る細い路地の一角でひっそり開催された門上さんの写真展。
京都でコッソリお世話になっている店の主人達が、”普段の眼差し”でカメラを見ている。
昨日今日の付き合いでこれほどの関係が構築できるはずもなく、門上さんの取材者としての信頼度が浮彫りになった写真の数々。




最近、知る人ぞ知る存在になった直珈琲。




川口さんの料理は背伸びをしない。
その目の高さが上品。
「人が料理をつくる」という当り前のことを再認識する。





尊敬する写真家の繰上さんはこう仰った。
「絶景というのは風景だと思うだろう。しかし、ほんとうの絶景は人の顏にある。顏の奥にある脳、その精神世界こそ絶景なのだよ。それを僕は撮りたい。」
繰上さんの”私的な写真集”を見せて頂いた。氏が今まで撮られた人々のポートレイトで未発表の絶景だった。




2010年5月23日日曜日

わが心の歌舞伎座。「音楽収録」


十河監督は「わが心の歌舞伎座」の音楽は作曲する方向で、昔から親交のある土井氏に作曲を依頼した。あの忙しい撮影の最中、いつ音楽の打合せをしたのだろうか……。



大阪のある音楽ホールでの収録が終わったのは深夜。

断片的な収録もするのだけれど、土井氏の頭の中では正確に音が積まれていく。








十河監督と土井氏は古くからの付き合いで、土井氏は監督の”音楽癖”を心得ていて、まるで渓谷に鉄橋を架けるような巧みな音符の配置を用意している。



土井氏は楽団員からの信頼も厚く、
時々、訪れるメロディーの行き詰りも、優しく次に振られるタクトを待っている。




絶妙の呼吸で監督と指揮者は階段を登ってゆく。
大人の仕事だと思う。

2010年5月10日月曜日

わが心の歌舞伎座「シナリオ原稿打合せ」


 編集作業が始まるのと同時平行でナレーションの打合せが始まります。
歌舞伎と歌舞伎座のことは釘の一本まで熟知されている朝田さん。2時間30分を超える映像のナレーション原稿を練り上げて文章にしていく井上さん。



プロデューサの貞綱氏、シナリオの井上女史、アドバイザーの朝田氏と十河監督。

気の遠くなるような打合せと、天文学的な文字と言葉が紡がれていくのである。こんな場面を中学生あたりに見学させたら、素晴らしい映画人が生まれるのに……。


井上女史と朝田氏。
お二人とも話が面白い。明日からでも大学の先生になれる知識量。
井上女史は毎日放送に番組構成で参加されていて、朝田氏は元共同通信におられたので、昔の事件や記者クラブの話しを聞くのが楽しい。



アシスタントプロデューサの三浦女史。
フランス育ちで、大学では日本文化を勉強された。
松竹は、そして歌舞伎関係者というのは人間の教養が分厚いと思う。

いつまで続くのか……シナリオの打合せ…………。
ご飯に行きましょか〜。

2010年5月7日金曜日

わが心の歌舞伎座。「仮編集作業中」

 映画「わが心の歌舞伎座」の仮編集がスタート。
キャメラマンはこの段階ではほとんど用なし。単なる見学者か野次馬程度。しかしプロデューサと監督はこれからが本当に忙しくなる。肉体的というよりも精神的に。

 十河監督。これから暑くなるので冷房はありがたいが、冷風の直撃は辛いものです。


 プロデューサの貞綱氏も様々な交渉事が始まるので準備がたいへん。

 マッサージチェアが登場!気分転換には最高。
この「わが心の歌舞伎座」制作室には、マッサージチェア程度では治らない、困難な肉体疲労時には、専門の鍼灸・指圧 上馬治療院の田中ゆき院長が駆けつけて治療に…。
苦渋の編集作業には鍼灸・指圧がピッタリだと云うことがスタッフの共通認識になった。

2010年5月6日木曜日

歌舞伎座 最後の日

心配された混乱もなく、カメラの前をサッパリした表情で役者さん達が歌舞伎座を去っていった。







すり減った入口の敷居。
どれだけの人が出入りしただろう





約一年間ほど通った歌舞伎座。
素晴らしい経験だったし、素晴らしい人たちと出会った


2010年5月4日火曜日

歌舞伎座にて。「鯛やき」


東銀座で有名な焼物は、銀ダコのたこ焼きと歌舞伎座の鯛焼き。
両方のお店には撮影中にどれだけお世話になったか…。


歌舞伎座の鯛焼きは、一階のロビーに店舗を移動してからというもの売れに売れている。
それは当り前、なにしろ歌舞伎座内に一軒しかないので、全くの独占状態。「泳げ鯛焼きくん」を知っている世代がお客の中核を形成する最近では、幕間に長蛇の列。


なんと言っても紅白の白玉が入っているのが特徴。


よく考えると、不思議な食べ物ではある……。

2010年5月2日日曜日

歌舞伎座にて。



この日の撮影は中村勘三郎丈。
クリント・イーストウッド監督が開発に関わったという防振装置での撮影。今までの防振装置の発展型で機構がとてもユニーク。






オペレータは超ベテラン。
収録された映像は引き込まれるような静けさでの移動。
これほど魅力的な映像なら、これを担いで富士登山を撮影したら美しいだろうと思う。(笑)


貴賓室にて。





撮影中も舞台では大道具さん達が活躍。
短い時間で舞台を構築する技には驚愕するばかり。
一人一人が自分の仕事を理解しているだけでなく、仲間の仕事も視野に入れて、先を読んでの動きは見ていて気持ちがいい。この”俊敏な群”に憧れて若者は集まると思う。


美貌なれ歌舞伎座。