2009年9月24日木曜日

夏の居場所。

 海外取材で辛いのは時差。
特に日付変更線を超えて約一ヶ月後に帰ってくるとドバ〜ッと疲れる。寝ていれば回復するといっても、それほど寝てもいられない。昔から日本時間を取り戻すのに一週間では足りなかった。時差ボケを克服する為にいろいろ試したが、どれももう一つ。しかも帰れば帰ったで仕事をするしで、悪循環の典型みたいな状態。
 そこで、辛くなったら携帯電話をもって会社を抜け出すことにしている。逃避場所は自転車で数十分の淀川河岸。夏草のムッとする草いきれのなか、大きめのバスタオルを広げて、虫が飛ぼうが横切ろうが関係なく、眠くなくても目をギュンギュンに閉じ、太陽をギャンギャンに浴びて寝ている。

午前中の堤防はまだ海からの風も残っていて、風も草も優しい。

積乱雲の幼年期の姿。最近はヘナヘナと中途半端に崩れる積乱雲が多く、
”入道”になる雲が少なくなった。



15時頃の堤防は大阪市内の”都市熱”や”ため息”がこの辺りに群がって海に流れていく。
この熱気と太陽を浴びるのも、ある種の”孤独感”があってなかなか良いのだ。

 夏休み。子供の私にとっては朝から晩まで遊びの毎日。楽しくて楽しくて、朝ご飯を食べると”夏の制服”「ランニング」に麦わら帽子。右手に虫かご、左手には昆虫網を持って天竺川の河原に一直線。その当時は草むらに一歩分け入ると、何匹もの虫が一斉に四方八方に飛び出す!そのなかから目的の虫を瞬時に見分けるのだから「動体視力」は抜群だった。
 そんな毎日でも特に楽しかったのは父と行くキリギリス採り。
河原の土手というのは「鳴く虫の銀座」で、早朝から17時ぐらいまではキリギリスが独占して鳴いている。キリギリスは「チョン!ギ〜ス」と鳴く。この「〜」の長いのが優秀なキリギリスなのだ。
 草の上で気持ちよく鳴いているキリギリスを見付け、そ〜っと近づいて長い枝の先に刺したトマトを近づけると、”オヤ”っという顔をしてトマトを見ながら鳴いているが、匂いにつられて”やれうれしや”という感じでしがみつく。そうなれば後は昆虫網で御用となる。30分ぐらいで虫かごは満杯、しかも結構な重さなのだ。
 この採り方は父が子供の時に覚えたもの。目の前でキリギリスがどんどん採れるのだから、子供の私には父はスーパーマンに思えた。
父と子の関係構築にキリギリス採りは最高の機会でもあった。それは詰まり「直伝」になる訳で、「直に教わる」「直に見せる」、ちょっと格好良くいうと、”背中を見せる”かな。これは子供には強烈な誉なのだぜ。

 むせ返るような草いきれのなかで寝ていると、その時の映像が鮮明に浮かんでくる。
夏草に覆われた無限に続く川の土手。そのシンメトリーの構図のなかで、父と小さな私がキリギリスを捕っている俯瞰の映像。
父がいろいろなことを教えてくれた‥…。

RED ONE

RED ONE順調に稼働中。

凄い画質で驚きの連続……
アートディレクターの印藤君曰く、「このカメラはフィルムカメラの発展型ではなく、ビデオカメラとコンピュータの融合したものです」と。
RED ONEでの撮影現場には露出計を持っていくが、絞りは適正、フィルターワークは適当に……REDで収録した映像は編集段階で補正ができる。
ファインダーがなかなか美しく、色彩、色量で構図を決めるのが楽になった。キャメラマンにとって重要な要素であるファインダーに力を割かない日本のカメラとは大違い。

先日、京都の大学に通う映画専攻の学生がオープンデスクで来ていたので、授業の内容を聞いてみた。
「フィルムのガンマーカーブとかレンズの構成とか‥‥。撮影監督さんの授業が退屈で、機械とか化学方面、あんまり興味ないんで……これからはデジタルになっていくでしょう。フィルムの伝統はよく分かりますが……”それこそが最高”みたいな授業ばっかりではなくて、デジタルの可能性を勉強したいのですが……なんか……古い経験を押し付けられているような気がして……」
難しいことになってきましたよ「デジタル時代」。


アナログの権化、ARRI35はその昔、UPI通信で使われていたもの。
まだまだ現役でござる。







カメラは結構な重さになるけれど、映像の美しさに重さを忘れてしまう。


照明は大変。HMIも嫌いではないが、タングステンが好きなので……
照明監督の田村氏にはいつもご苦労様です。




RED ONEの映像力は映画やCM制作に使えるだけの容量があるのだけれど、実はかなり前から私たちが制作するテレビ番組で使っている。別にテレビ局から指定があるわけではなく、家庭用のカメラを使っても、今のテレビ局にはどうでもいい事なのだが、それでも使っているのはオブザアイの将来の為。

2009年9月19日土曜日

旅に病む。

「人は人生を旅する」-ギイ シャルル クロウ-


旅をすれば時々は病に伏す。
世界遺産の矢口キャメラマンはアフリカ「トンブクトゥ」の撮影中にマラリアを発病。九死に一生を得た。アウトドアの取材を矢口キャメラマンは一手に引き受けてきた。世界中を狭しと、これほど制覇したキャメラマンも珍しい。しかも、行く先々で彼と彼のスタッフは日本料理と”お箸”という文化を伝えてきた。

僕の病名は情けないことに「漆かぶれ」。体質が変わったのか強烈なアレルギー症状には参りました。何か別の生物のように腫れた手足は点滴を打つための血管が見つからず、かろうじて足の甲にある細い血管から注射。観るも無惨な残暑の一ヶ月。







その苦しみと闘っていた頃、今年は咲かないと思っていた睡蓮が静かに、しかし、確りと咲いていた。花を撮るようになるとキャメラマンとしてはエンディングだと、写真家のメイプルソープが言っていたけれど‥…。でも、よく見ていると奇麗だもんね。

2009年9月15日火曜日

樺沢記者のこと。

 一時期、原発を担当していた樺沢記者。

ニュース番組で樺沢記者が原発問題をレポートすることになり、僕は魚眼レンズから1000mmまでのレンズを用意して敦賀駅前で樺沢さんと合流した。
 ひなびた喫茶店で「敦賀駅前商店街から世界のエネルギー問題」まで、氏曰く「現在進行形的原発問題」のレクを受けた。その判りやすさは今まで読んだどの資料よりも簡潔で明快だった。

 
 レポートのポイントに選んだのは原子力発電所を背景にした小さな砂浜。原稿の手直しもあって取材班は暫く休憩。
暖かな陽気と波の音に微睡んでいると突然、樺沢記者が「お〜い、甘海老食べようか!」と叫ぶ。「え!今から釣るんですか……?」「こんなこともあるかと思い、さっき駅前で買ったのであるよ。」と発泡スチロールの箱をヒラヒラ。
「なかなかのタイミングですけど、これ冷凍ですよ!」
「海老はもともと海にいたのであるぞよ。」
「だから……? まさか!」
と云うことで、海老を目の前の海に放り投げて解凍。
打ち上げられる甘海老は初夏の海水で程よく解凍され、しかもなかなかの塩梅。
大人が、四人の大人が沈んだり流されたりする甘海老を追って、ヒャッヒャと騒ぎながら浜辺を走り回っていた。なにより可笑しかったのは、背広の樺沢記者がズボンの裾を巻くって波打ち際を走っていたこと‥‥。

 敦賀の小さな砂浜でのことを一生忘れない。柔軟性のあるいい記者だったと思う。樺沢啓之記者。2009年5月18日死去。
僕が撮影した樺沢記者は永遠に映像のなかで生き続ける‥‥。

2009年9月5日土曜日

世界遺産にて。「イースターの昼食」



 今日はイースターなのでお肉をたべようとレストランへ。
この日はどこのレストランでもこんなお肉料理が普通だとかで周りのお客さんはと見ると、肉の厚さも5〜6cmはある分厚い肉を平然と食べている。焼肉、ホルモンに慣れている僕たちはその量に驚いてしまった。






 「大阪は食い倒れや!」本気でそう思っている人はイースターのローマに来て見なはれ。見てるだけで倒れるから。



ここまで凄い量の肉を前にすると、やっぱり外国の人には負けると、気持ちが萎えて無条件降伏です。

2009年9月3日木曜日

世界遺産にて。「ローマのクラウディア女史」

昔、美術の時間に「地中海」という彫刻を見た記憶がある。
クラウディア女史はその「地中海」そのもの。慎み深く、しかし、おおらかで、大胆で繊細。人を育てるのが上手そう。

バチカンの撮影でお世話になった。京都に来られたら案内することになっています。
僕はお酒は飲めませんからネ。