2009年7月29日水曜日

通天閣。

 浪速の象徴は通天閣。
一番上は天気予報の表示、そして頂上の直径は5mはあるだろうか。
そこから見る大阪湾は雄大で、雲間から差し込む光の柱は特に美しい。







 撮影はフランスのテレビ局からの依頼だった。
細部を見るとなかなか魅力的で、塔自体の高さも立派なもの。なにより、これほど庶民的な塔は世界でも珍しいと思うのだが‥‥。
大阪のテレビ局はどうして通天閣のような立派な遺産を克明に撮影して番組にしないのか不思議だった。無理をして東京から中流芸能人を呼んで、結局のところ東京キー局と同じ構成のバラエティー番組を放送するのなら、関西発で全国から注目されるような番組を制作すればいいと思うのだが、今のテレビ局では駄目か‥…?、”辞令ディレクター”には無理か‥…?。
いやいや、どうせ一生をディレクターで生きることがないのなら、人事異動でもいいから、せめてディレクターでいる間に死ぬ気で番組作れよ!と思う‥‥。

2009年7月28日火曜日

世界遺産にて。「飛行機雲」

 海外取材、飛行機で移動する際は座席を指定する。
「一番後ろで、真ん中の席、そして通路側。」その理由は、エアーポケットに入った時に身を守りやすい。ちょっと辛いのは、だいたいの機種でリクライニングができない。


 あと数時間でスキポール空港。
顔を洗って窓から外をのぞくと目の前にできたての飛行機雲。
自分から数メートル先で雲が生まれている。人間が雲を創れる時代。いいな〜飛行機。

2009年7月27日月曜日

世界遺産にて。「エストニア」

 エストニアの首都タリンから車で5時間、燃えるような緑の森でエストニアで慕われている「詩人」の撮影。(ほんとうに深い森で、しばらく微睡んでいたかった。)
日本人は絶対に訪れないレストランで夕食。おっ!と驚くシンプルなソーセージ料理に、往復10時間近くの移動はこの美味しさで帳消し。そして帰る頃には幻想的な夕焼けが始まっていた。

 日が水平線近くに沈みだしたのは22時頃。まどろんで気がつくと、とっくに日は沈んでしまって、遠くの水平線だけが焼けていた。






 あと2時間ほど経つと、総てがブルーモーメントの風景のなかで、地上から50cmくらいの高さで霧が大地を覆いはじめる。あの牛乳のような霧が流れ始める風景をもう一度見てみたい。音もなく押し寄せる霧のなかを何処までも歩いてみたいと想う。

2009年7月24日金曜日

世界遺産にて。「エジプト文明」

 屈折ピラミッドの”天体観測窓”と呼ばれている場所からの写真。
寸分の狂いもなく積み重ねられたピラミッドの石、しかも屈折した急傾斜にポッカリと、長方形の石一個分の穴があいている。
当然、外にでたら滑り落ちてしまうので手だけだして撮ったもの。


 炎天下の砂漠は、あっと言う間に50°を超える。でも乾燥しているので、日本の梅雨のようなベトベト感はない。それだけでも過ごしやすい。
僕は撮影がなければ、50°でも日陰で熱いチャイでも飲みながらボーっとする自信がある。”乾燥した清潔なあつさ”です。

(小さな人物は取材班のガードマン。自動小銃を片手に彼女に電話中。)

Koseto

京都の古美術商から買った古瀬戸の水差し(あるいは水注)。
なんとも云えない丸みが魅力的で、見せて頂いた途端に買ってしまった。






しばらく、酒陶 桺野さんに飾ってもらったが、壁の色とよく共鳴して存在感があった。
古瀬戸、鎌倉時代の作。

直珈琲

 喫茶「サントス」は僕が初めて珈琲を飲んだ店だった。
おばさんは戦争未亡人で、ご主人は「蒼龍」という航空母艦に乗っておられてミッドウェー海戦で戦死されたという。しかしご主人の戦死をどうしても信じることができず、いつか帰ってくると、夫のために喫茶店を始めたという。「珈琲が好きな人で…。塩っぱい海を泳いで帰ってくるのは辛いでしょう。だからいつ帰ってきても美味しい水と珈琲が飲めるようにね……。」

 その頃、父の写真館がある小さな商店街にはそんな境遇の人たちが肩を寄せ合って暮らしていた。「スナック サンボ」の主人はビルマのインパールで、「入船食堂」の長男はニューギニァ、「巽文具青写真」の次男は硫黄島で、「漢方 大山堂」の長女は広島で亡くなられた。大きな悲しみを抱えて、ひっそりと生きる人々の姿を今も覚えている。

 直珈琲も「ひっそり」とした喫茶店である。
直君の精神を具現化した店の佇まいが「ひっそりと上品」。
大きな一枚板のカウンター。知らないうちにオーバーラップするように代わる一輪挿しと花。





「ピッツバーグ」
ユージン・スミス先生からいただいた写真。
















ニコンFが買えなくて苦しんでいた頃の珈琲の味がした。




 僕はいつもパプアニューギニァを飲む。
飲んだ瞬間に、写真の修行をしていた若い頃の自分がフラッシュバックで浮かんでくる。進むべき方角もなく、歩き出すための道もない。荒野にポツンと一人……

その頃の僕はどん底に立っていた。学歴も教養も、なにもないひ弱なしょうねんだった。

2009年7月16日木曜日

アゲハ蝶。

 山椒が芽をだすと必ずやってくるアゲハ君。
日だまりで横になって本を読んでいるとヒラヒラとやって来て、三日も経たないうちに幼虫が生まれて、セッセと葉っぱを食べ始める。
それを見つけたら鳥の攻撃を防ぐ為に大きめのネットをかける。生まれたところを知っているのか毎年やってくる。
 睡蓮が華やかに咲き始めた最近は、トンボも偵察にきているので近いうちにヤゴが徘徊する。そうなるとメダカが絶滅するのだが、トンボは太古の昔から飛んでいる尊敬すべき昆虫なので排除するのも気が引ける。しかしメダカも古い先輩ではあるし‥…。やや複雑な今日この頃。

2009年7月14日火曜日

楠。

 京都東山にある青蓮院。
その山門に鎮座する楠の雄大さに見とれてしまう。いつからそこに根をおろしたのだろうか。







この楠の下で深呼吸すると喉がシーンとします。大きな木の下は喉にいいのかも。


 遠足の子供達はこの楠を見上げて「おじいさん」と叫んでいた。
友人の医師は「造影剤を入れた血管」だと言っていた。

撮影したいと思うのだけれど、この楠は縦の構図。僕らのカメラは横構図。パーンナップをしなければならない……僕はただ見上げるだけ。

2009年7月10日金曜日

世界遺産にて。「ロンドン」

 何故だかイギリスは遠い国である。
天気はもちろんよくないが、ドンヨリとした空はどういう訳か産業革命のイメージでもある。
強烈な思い出はビッグベンに3回登ったこと。これは時計を管理するおじさんの都合でそうなったが、これは本当にキツかった。
しかし、国会議事堂内の議員食堂で食べたランチは美味しかった。食べ物に関するイギリスのイメージがガラリと変わったほど。





 「マグナカルタ」を撮影する予定になっていた。誰もが歴史で習う「マグナカルタ」だ。
聡明で美人の広報係がヒラリと持ってきてくれたそれは一枚の書類。
それがあの「マグナカルタ」だと聞いて僕は驚いてしまった。てっきり百人一首のようなカルタ状のものだと思っていたのだから。さすが産業革命の国、一事が万事、合理的にできていて、大憲章の文言を一枚一枚のカルタにして覚えるのだと信じていたからだ。
スタッフのほとんどが同じことを思っていたらしく、撮影後の一同大笑いの巻き。

世界遺産にて。「記憶の夕景」

 「夢ではないのか」と思う風景を僕は見た。
美しい風景は、その”割合”として荒涼とした場所で出会う。たとえば大陸の端っことか‥…。
また、太陽が水平線に差し掛かった前後の40分は、たとえその日が曇りでも雨でも撮影を生業とする者はよく見て於かねばならない。それは朝の風景にも云えること。

 ある番組の取材でご出演頂いた龍村 仁監督が、窓から散ってゆく桜をご覧になって、「散っていく桜の花を風が運ぶ‥…。こんな時に風が見える‥…。植物が地球に生まれてこのかた、何十億年とこんな風景を繰り返してきたんだよな〜。人間のことなど考えていた訳ではなくね‥…。」

パタゴニア

ティウェルチェ族の村 パタゴニア

月の谷 パタゴニア

ピコ島 ポルトガ

風の谷 パタゴニア

 自分のすぐそばにある森羅万象を注意深く観察していこうと思っている。
キャメラマンの仕事は「よく見ること」「よく分析すること」そして「理解」することに尽きるのだ。
 継足しで岩波新書ぐらい分厚いパスポートも期限がきて、新しいITパスポートになったし、ボコボコだったリモアのトランクも修理ができた。さあ、朝はどんな風景に出会うのだろう‥…。

2009年7月9日木曜日

記憶のなかの軍艦島。「長崎県 端島」

 端島(通称、軍艦島)のことを時々想う。
遠望の風景はなるほど船。軍艦島とは云い得ている。今から考えると、あの荒廃した無人の島に一人でよく行ったものだ。
カラッと晴れた日が続き、濃い青空に灰色の高層建築の群れは、”東京の日曜日”の風景で不思議と恐怖心は無かったが、現像のあがったポジを見ていると急に怖くなったのを覚えている。


 僕が島を撮影している間、一定の間隔でついてきた犬と猫。もうとっくに死んでしまっているだろうが、彼らはどんな風景を見ていたのだろうか…。恐らくスクラップ&ビルドに突き進む日本経済の醜態を見ただろう。
 それに比べたら僕は矮小で、この島を番組で取り上げる企画を巡って、サラリーマン社会の下らない管理職のヤドカリみたいな発想を見た。優柔不断で、しかも頭の悪いのが上司になると、その職場は一発で崩壊するものだ。それを見ることができてよかったかも。(笑)



2009年7月5日日曜日

尊敬する人々。「津田さん」

 津田さんの教室でタルトの撮影をさせて頂いた。
でき上がったお菓子はもちろん素晴らしいのだが、何と言っても感動するのは作っている時の津田さんの立ち居振る舞い。
真摯で上品。フランス留学を含む、その分厚い経験を驕らず、いつもお菓子のことを考える。
そんな津田さんの精神に触れたとき、キャメラマンという職業を選択して本当に良かったと思う。

さり気なく窓際にて
お菓子が焼けるまでの珈琲タイム。お菓子の甘い香りが上品

津田さんのお菓子を撮影する時はツアイスのレンズです。


ガラスのような光沢。食べていいのか迷うお菓子なのだ