2010年7月19日月曜日

梅雨明け。

 やっと梅雨が明ける。今年の梅雨は辛かった。
雨の多さと、湿気の強さから逃げようもなく、微熱の続く身体にはひどく堪えた。







太陽はありがたい。
身体に蔓延ったカビが紫外線で消えてゆくような気持ちで思いっきり背伸びをする。
気がつくと微熱も消えていた。




 遠くの空を音もなく飛行機が飛ぶ。あの飛行機雲なら恐らく30000feet以上。
福井大空襲の日、空襲に来たB29が蒼空に描いた飛行機雲が、怖かったけれどとても奇麗だったと母がよく話していた。



 突然のスコールのように植木に水を撒く。
腎臓病で半年の命と宣告された僕に、父は様々な玩具や腎臓にいいという西瓜、それも巨大な西瓜を買ってきてくれた。
おもちゃは嬉しいのだがそれを持って遊ぶ体力も西瓜を食べる食欲もない。おまけに、何十人もの同じ茶色い着物を着た女性が、僕の寝ているベットを取り巻いて泣いている幻覚も見るようになって、子供(四才)ながらに漠然と、これはもう死ぬのだろうな思っていた。というよりひどく無気力だった。腎臓の機能低下による多臓器不全だったそうで、余命幾ばくもなしだったが、それほど苦しくなかった記憶がある。


なんとか持ち直して、(人間、死ぬ前に短期間だけ回復したようになる)退院したある日、父が僕を抱いて庭にでて、植木に水を撒きながら虹をつくり出したのだ。ホースの先から勢いよく音をたてて水は広がり、水の幅だけ七色の虹が鮮やかに浮かび上がっていた………父がなぜホースで虹を見せようとしたのか今ではわからない。しかし、僕の人生で初めて見た虹は父が創ったものだった。




梅雨明けの空は空気が澄んで、夕焼けが特に美しい。

世界の様々な場所で夕焼けを見た。
ヒマラヤ山脈の荘厳な朱。極点で見た畏怖の赤。大草原の安らかな紫。
どこの夕焼けも本当に奇麗だったが、夕焼けは人間が生まれる以前から毎日、毎日営まれてきたのであって、人間の為に地球が特別に用意したものではなという、当たり前のこの事にいつも驚く……。

2010年7月4日日曜日

OBSERAI東京。工事始まる。


 床のフローリングも終わって、いよいよ作業机と本棚の製作開始。



この事務所は西日が特に美しい。
15時半頃からの光線はキャメラマンにとって恵みの光。





北海道 小樽出身のおっとりとした山崎君にはキツイ作業だが、楽しそうにマイペースでの作業を見ているだけで和むものだ。人が働く姿はそれだけで希望だ。



 
若い人達が部屋のレイアウトで歓談。一つの目標に向かって違う個性の人間が集まって、糸を紡ぐというのは楽しいはずだ。そんな職場環境をつくるのが大人の仕事なのだろう。映像制作の現場はいつもこのような「空気」「雰囲気」といった「気」が流れていなければならない。
昔のテレビ局は365日がこんな雰囲気だったから、出勤するのが楽しくて楽しくて…。
オブザアイはどんなことがあってもこの「気」を守らなければならない。



でも、仕事は仕事。99%のリアリズムがあって1%のローマンがあるのだよ、山崎君。

2010年7月2日金曜日

OBSERAI東京。


ガランドウの事務所。




小山薫堂氏が置いて行かれたサッカーゲーム盤、フィレンツェの修道院を想わせる机がポツリと。このままの事務所でもいいような…。





しかし、机だけだとやはりガランドウすぎるので、机と本棚を作ることにした。



ということで多摩美出身の山崎君が設計中。



何故かフッと、「新しきインクのにほひ〜」の詩が思い浮かぶ。