2010年10月26日火曜日

世界遺産にて。「言の葉」モノリスの群れ




「地上波テレビは

文化装置としての役割を放棄し今や異臭を放っている」

(大山 勝彦)







monolith

モノリスとは建築や彫刻に用いる一枚岩のこと。

旅先にて頂くメール。

異国で読む言葉の意味を、心の引出しに大切に仕舞い込む……。




2010年10月24日日曜日

世界遺産にて。「言の葉」フィレンツェ


「あらゆる新しいこと 美しいこと すばらしいことは

一人の人間の熱狂から始まる」

(萩元 晴彦)



休館日のウフィツィ美術館にて。

ウフィツィとは「オフィス」のこと。
この美術館はメディチ家の仕事場だったのだ!
係の人が数人いるだけのガラ〜ンとした美術館。
あるは、あるは、ダビンチ、ラファエロ、ボッティチェリ……。
心の中でワーワー叫びながら、撮影していたら、
アグリッパの胸像がジロリ……。


旅先にて頂く元報道局長のメール。

異国で読む言葉の意味を、心の引出しに大切に仕舞い込む……。


2010年10月20日水曜日

OBSERAI東京事務所「右隅の小さなギャラリー」


この半坪の空間には小山薫堂氏から頂いた机が一つ。
この机の色が渋くて、仕事に使うのが勿体ないので不定期の展示場になっている。

一見の価値がある、オブザアイ印藤君の展開するアート空間には、時々モビールが吊るしてあったり、飛行機が飛んでいたりするけれど、その片隅で古美術商から買った常滑の壷と、尊敬するリチャード・アベドンの写真集がコジンマリ……。




ただいま骨董を勉強中。といっても自分の好きだと思うものを選んで、骨董商の意見を聞いたり、骨董商が薦める壷や皿を買っているだけ。

この常滑の壷は、骨董商が床の間に置いて何時間も飽かず眺めてはったで〜……と少年の店員さんから話しを聞いたので、そんなに飽きずに眺めていたのなら…と買った思い出の壷。




2010年10月19日火曜日

世界遺産にて。「美貌なれパリ」


ベルリンの壁があった頃、報道関係各社の総局や支局はパリに集中していて、そこを拠点に東欧、アラビア、アフリカ方面に出かけていた。今のようにインターネットや携帯電話はなく、出入国時の通関システィムもウンザリするほど煩雑で、取材が終わってヨレヨレになってヨーロッパ総局に辿り着いたときの、オレンジ色のパリの街灯にどれだけ癒されたろうか。






セーヌ河畔は世界遺産。
河を巡る最近のバトームシュには中国語が追加された。
バトームシュに解説のアナウンスが追加されたということは、経済的に豊かになった証拠だとドライバーのデゥミトリーが言っていた。

昔、アムステルダム国立美術館で撮影しているときに、見学にきていた日本の女学生達が下品に騒がしくて係員に注意されていたが、中国人観光客はその上をいっている。でもオーストラリアのおばさん達もなかなか騒がしい。大阪のおばちゃんに似て、楽しくなる。


やっぱりエフェル塔は素晴らしい。

東京タワーは勿論、日本人の誇りだが、なんと言ってもエッフェル塔はその周囲がよく整備されていて、Longの撮影をするとファインダーには素晴らしい納まり具合。エッフェル塔もそうだが、パリという街は計算された都市計画の見本だ。オスマン知事は偉かった。
これは矮小な私見だが、映像のフレームに心地よく収まる建築はだいたい美しいのだ。

ギャハリーラファイエットデパートの屋根。

ここも素晴らしい。ただ、このアングルを撮影するための場所が女性下着の巨大な売場で、僕はファインダーを覗いているからいいのだけれど、他のスタッフは大変だったですよとコーォディネイターの武井女史が笑っていた。

一階の化粧品売場には資生堂のブースがあって、堂々と世界の高級ブランドと肩を並べていた。日本の店員さんと目が合って小さく挨拶。こんな超激戦区で頑張っているな〜とジーンとなった。ラファイエットデパートの資生堂、率直にカッコ良かった…。

ああ、憧れのルーブル美術館。



おお!ミロのビーナス。

しかし広報のスタッフはたいへんな女性だった。
眼鏡がよく似合う美人だけれど、日本人が嫌いのようだ。
こんな人に出会ったら、スタッフはボ〜と遠くを見ているのに限る。
後は武井さんが話をつける。
フランスでの取材は彼女無しには成立たない。



堂々としたサモトラケのニケ像。

ダビデ像、ピエタ、そしてニケ像を見上げるたびに心が洗われる。
多国籍軍照明チームが煩雑な組立作業を終えるまで、
僕は体育座りで見上げていた。



ベルサイユ宮殿にて。


一生の思い出だった。

ガラ〜ンとした休館日のルーブル美術館を走り回って……楽しかったな……

遅い午後、斜めの光に浮かぶニケ像を今でも想いだす……。


2010年10月18日月曜日

地球儀。「Tabi photo」


 最近の東京事務所には、
BS 日テレで始まった番組、「Tabi photo」のインサートカットを撮影するための地球儀がゴロゴロ。普段の生活ではそれほど登場しない地球儀だけれど、インテリアとしても売れているそうで、国旗が印刷されていたり、山脈が凸凹で表現されている地球儀など……様々な地球儀が売場に並んでいる。僕はうるさくない程度で国名と首都が印刷してある地球儀がいいと思う。




 左が22年前に買った地球儀。
今では驚くほど国名が変わっていて、ちょっとした骨董品。
真中はN35の小山薫堂氏の所蔵品。右にあるのは最新の地球儀。



小山薫堂氏の地球儀と山脈凸凹表現地球儀



22年前の地球儀。
世界遺産にスタッフとして参加することも、
番組で世界を巡ることなど、想像することもできなかった。



アフリカは人類発祥の地、そして野口英世への憧れもあった。



ドイツは東西に分かれていた。
そういえばベルリンの壁、その破片を持っている。



ロシアもソビエト連邦だった。
旧ソビエト連邦の国へ撮影に行ったが、なにもかもがガタガタ。
社会主義のいい加減さにムカムカの連続。

 会社を立ち上げた頃はまったく仕事がない毎日。
ガラ〜ンとした部屋に地球儀だけがポツンと。それを眺めながら「いつの日か、世界を巡らん!」なんてことを考える余裕はゼンゼンなく、ただ仕事のこと、明日のこと、月末の支払いのことばかりを考えていた。

 報道時代の諸先輩、その方達の涙がでるような心遣いもあって、関西の素晴らしさを紹介する番組「近畿は美しく」に参加することができた。しかし大阪の小さな映像業界にもそれなりの縄張りが存在していて、気が滅入るほどの妨害があった。それを押し退ける気力もなく、状況だけを撮影するワイドショーなどやる気は更々ない、と云うよりも、そんな村社会が疎ましくて東京に出ることになった。

 TBSの世界遺産に参加できたのもT氏、O氏の両プロデュサーの推挙だった………著名なクリエィターを育てた資生堂のCMを制作できたのもK重役の働きだった……偉大な人々に支えられてきた。僕は肩書きや氏素性で判断しない「東京」という志を抱く者に寛容な街の存在をいつも忘れない。