2011年12月27日火曜日

アイスクリーム屋さんのベンチ。

虎ノ門・神谷町にあるSOWA
地下鉄日比谷線・神谷町駅3番出口からすぐ。
なんと言っても安くて美味しい。昔は待ち合わせで有名な、六本木の有名な喫茶店におろしている。こんな店は500年ぐらいは続くような気がする。


ご近所なので、眠くなったらソッ〜と抜け出してはこのお店に。
こんなにソフトクリームを日常生活に取り込んでいるのは、
オブザアイとアメリカ軍ぐらいだと思う。

アメリカ軍とアイスクリームは切っても切れない関係で、
熱帯雨林の前線基地にもGEの巨大な冷蔵庫がデ〜ンと据えてあり、
その中には必ずアイスクリームが常備されていた。
海軍では巨大な空母の食堂と売店にもアイスの店が……


このお店の前においてあるベンチがいい。

周りはビルに囲まれていて、
景色がそれほどいい訳でもないのだが、
「気」がいいのか……ここに座って食べるアイスは最高。


神谷町から飯倉にかけては、なんとなく「気」がいいと思うが、
隣の霞ヶ関あたりはそれほどでもない……
政府の建物が多いからか、そこで働く人達の「気」が弱いのか。
ガードマンと警察官が多すぎる……

警察官の制服はほんとうにセンスがない。
もう少しデザインを考えたらどうなのだろうか……
街にあれほど立っているのだから、もう風景の一部なのだよ。


2011年12月23日金曜日

カメラ昇天す……Canon IXY


メモ代わりのカメラ、また壊れる。
このIXYはスペイン、イタリア、南相馬、オランダ、ベルギー、アメリカ、ペルー、コロンビア、そして再びペルーのラハスで動かなくなった。




 故障はある日、突然に……まったく動かなくなった。
実はそんなことあろうかと、もう一台、IXYを持っていたのだけれど、このカメラもモニターが割れてしまって映像の確認ができなくなっていた。
機内預けにすると放り投げられるから……これで何台目だろう。
少し高くてもいいので頑丈なカメラが欲しいと思う。





2011年12月13日火曜日

東京タワー


なかなかいいな〜と思う、東京タワー。
南米から帰ってからは、もっぱら墨田区のスカイツリーとその周辺を撮影していたので、スカイツリーの巨大さに唖然としている毎日だったが、フッと見ると東京タワーが……
「お〜頑張ってるな!」と思わず声をかける。






311で先端はまだ曲がっている……
曲がったままの東京タワーもなんとなくいい。
震災を忘れないためにもそのままでよいと思うのだが。



3月11日。
京都での撮影が終わって、帰りの新幹線に乗っていた時だ。
品川駅を発車した直後にのぞみは急停車。
その途端、物凄い縦揺れと、直後に続く横揺れが特に激しく、
これで僕の人生も終わるのだと覚悟した。

車内放送で震災の情報を聞いた。
遠くの在来線からは人が降ろされて歩き始めていた……
その風景のなんと寂しいことか。
阪神大震災で見た光景が蘇って暗澹たる気持ちだった。





5時間後に着いた東京駅は大混乱だった。
こんな大震災にも関わらず、
それでも遅延証明を配るJRをちょっと見直した。

事務所は虎ノ門なので東京駅からは徒歩。
内幸町も霞ヶ関も大混乱で、
東京駅に向かう人達をかき分けての行軍でヘトヘト。

愛宕通りをトボトボ歩いて、遠くに東京タワーが見えた時には
ほんとうに嬉しかった……






東京タワーの上には月食も……



スカイツリーは砂漠に立つミナレットを思いだして見とれてしまうのだが、東京タワーも独特の品があっていいもんだ。
山梨で生まれ、東京で青春時代を過ごした父に、東京事務所の窓からすぐ近くに見える東京タワーを見せたかった……

2011年12月9日金曜日

カリフォルニア・サリナスにて (報道時代)


モントレー郡サリナスはジョン・スタインベックの生まれたところ。
そこの小さな図書館にスタインベック自筆の原稿を撮影するためにお邪魔した。図書館の司書はとても親切で、それはそれは丁寧な対応で、協力を惜しむことなくすべてがオープンであった。なによりも郷土の誇りである彼を尊んでいる姿勢が気持ちよかった。


労働組合員や特別な政党支持者の多い、日本の図書館では決してお目にかかれない風景であった。借りる人の顔も見ない、蔑んだ表情でありがとうも言わない、まるで30年前の中国の書店員のような……日本の図書館員の対応に接すると、今も決まってサリナス図書館の風景が浮かび上がってくる。