2009年12月31日木曜日

09年末 虎ノ門の31日。


12月31日はさすがにいつもの道路はガラ〜ンとして、驚いたのは車や人が極端に少なくなると、急速に街が冷えてくること。






遠い昔、人がいなくなった街を歩いたことがある。それは有名な炭坑の島で、長崎県にある端島(通称 軍艦島)という閉山になった島だった。朽ちていく高層ビル群に生きていたのは犬と猫、そこに2日滞在した。この島で会社を辞めることを決意した。





モノトーンになった街で色づいているのは落ち葉だけ。
ダウンの温もりが今日はとてもありがたい。

「今日の言葉」

炭坑 炭坑の島 長崎県 端島 軍艦島 閉山 高層ビル

2009年12月22日火曜日

インディアンカレー

大阪の堂島は毎日、朝日の新聞社発祥の街。
毎日新聞大阪本社の前にある階段は堂島地下街に直結していた。
企業の本社がまだ大阪にあった頃の地下街は、まるで通勤ラッシュ並の混雑で、歩いていると通勤電車の延長のような気分だった。


この溢れかえる人並みや夜遅くシャッターが降りてガラ〜ンとした地下街は、好景気、不景気、社会問題、教育問題などのニュース企画で使われる、イメージカット撮影には最適の場所だった。
管理事務所の方達とも顔見知りになっていて、
「宜しくお願いします。」
「ニュースの取材ですか。それでは撮影許可の腕章ね」……
あの広い堂島地下街を僕だけの撮影スタジオにしていた。



それなりに忙しい青春をこの街で過ごした僕は、毎日のようにインディアンのカレーを食べていた。
青年の注文は決まって「大もり、全卵!」。

時々、思いだしたように無性に食べたくなるのだが、数年前、そのインディアンが丸の内側のビルに開店した。佇まいはまさしくインディアンで、行列ができるほどではないが結構な繁盛ぶり。しばらく並んで食べることができた。
昔のことを思いだして無意識のうちに「フツーでゼンラン!」と大声で注文すると、客も店員さんも全員僕の顔を見る。そうであるか、ここは東京の丸の内だった……。


 すると年配の店長さんが「おたく堂島の店に来てはったでしょう?」と聞いてきた。
おお!なんと堂島地下街のインディアンにおられた店員さんだった。
「新聞関係の人はだいたい全卵って言いはりましたな〜」と懐かしそうに……。
全卵とは白身も黄身も入れること。


店長が出勤のときには「ぜーんーらーん!」と最近は堂々と大声で注文している。(笑)

(今日の言葉)
インディアンカレー 毎日新聞社 朝日新聞社 堂島地下街 丸の内
 

2009年12月15日火曜日

ゴムの木。

 人生で初めて描いた油絵は三日で仕上がった。
友人の薦めもあって、何気なくそれをある有名な美術展に出品したら、なんと入選してしまった。題材は「ゴムの木」。
どう見ても背景の描きかたは幼稚だけれど、熱意と集中力だけで審査員を動かしたのだと思う。その証拠にキャンバスの裏側には白墨で「△」が書いてあり、それを訂正して「入」が。スレスレ入選だけれど意志、熱意が大事なのだとわかった15才の秋。


 虎ノ門から神谷町に向かう交差点に大きなゴムの木が茂っている。(正確にはインドゴムの木か‥…)どのような経緯でそこに植っているのかは知らないけれど、分厚くて豊かな葉を風にゆらしているゴムの木は、見ているだけで気分がいい。

 アルゼンチンの首都、ブエノスアイレス。
有名なアルゼンチンの母、エビータが眠る墓所の前にある公園。そこには見上げるほど巨木のゴムの木があって、その大きさは京都にある青蓮院の楠を思わせる。

 虎ノ門のゴムの木もそれぐらい大きくなればよいのだ。
街路樹もゴムの木にすればいいと思うのだが‥…‥夏は大きな葉で日陰をつくるし、枯れ葉に心を痛める人はいなくなる。それにゴムは工業資材として必要なのだから、街中に植えればゴム資源は不自由しないと思うのだが。(笑)
(インドゴムの木からはそれほどゴムが採れないらしい。)


今日の言葉

虎ノ門 街路樹 ゴムの木 インドゴムの木 
アルゼンチン ブエノスアイレス
アルゼンチンの母 エビータ 神谷町 油絵

2009年12月2日水曜日

世界遺産にて。「旅客機 DC−3」


 「僕は将来、航空会社をつくりたいんですよね‥‥。」
とアカデミー賞を受賞された構成作家の小山薫堂氏。
お酒と料理がなかなかの、虎ノ門にあるスペイン料理店、バル.カマロンでの話し。

 世界遺産では航空機を使う撮影が結構多いので、防振装置の取り付けや打合せのために飛行場に行かねばならない。僕は薫堂氏の構想を聞いて以来、打合せ中も飛行場に駐機している”ぼくらの航空会社”用の中古旅客機を無意識のうちに探している。

これは小さすぎる。



実はスオメリンナ軍事博物館に展示されていた実物大?模型。

 実のところ、空撮というのは飛行機やヘリという機材ではなくパイロットの腕で決まる。国籍に関係なく上手いパイロットなら瞬時で撮影の意図を感じ取るもので、それは飛びかたや飛行姿勢に表れるから不思議なものだ。ヘタッピンは日本でも外国のパイロットでも同じ。創造力がないのだからどれだけ説明しても無駄。そんな場合は諦めるしかない。だから申し訳ないが細々とした打合せはディレクターに任せて僕は空想の世界を飛んでいる。


自家用飛行機は日本より圧倒的に多い。


使い込まれたDr.ヘリ。
MBB メッサーシュミット ベルコウ ブロームウントフォスという(笑) 


膨らみが開いて患者さんを収容できる。


世界的ベストセラーの飛行機 DC−3。
若かりしころカナダで乗ったことがあった。妙に嬉しかった思い出がある。


で見付けたのが美しき森の国フィンランド。その片田舎にある空港に駐機していた銀翼輝くDC-3。お客さんはそれほど乗れそうにはないけれど、燃費がよさそうなレシプロエンジン2発のプロペラ機。エンジンをスタートさせるときのやや湿った爆音がなかなか。男だったらだれでも惚れてしまうのだ。

 帰国して航空会社の件をスタッフに聞くと、
「薫堂さん、水上飛行機を考えてるらしいですよ‥…。」
「え!‥…‥‥。」

今日の言葉

アカデミー賞 構成作家 小山薫堂氏 虎ノ門 
スペイン料理店バル.カマロン
防振装置 世界遺産 スオメリンナ軍事博物館 Dr.ヘリ DC3
MBB メッサーシュミット ベルコウ ブロームウントフォス 水上飛行機

2009年11月16日月曜日

世界遺産にて。「父と子」イエメン。

 砂漠を旅する途中でこんな話しを聞いた‥…。

 族長を退いて息子に譲った父親は、荒涼とした砂漠の谷にある、小さな終の住処で静かな暮らしを始める‥…。

 部族を継いだ息子の統治手腕も満足に発揮され、反対派、懐疑派も一掃された頃、息子は父の住む谷間に向かう‥…。




 父親は息子が尋ねてくることを予見して、暖かなお茶を入れて待っている。それは父親が若き日に族長を継承した時と同じだから‥…。

 息子は父が入れてくれた茶をゆっくりと味わうと、幼かった自分を此処まで育て、導いてくれた礼をいい、父親は逞しく育った息子を讃え、健康を案じる‥…。

 そして「部族の繁栄を図り、なにより民を慈しみ、母や兄弟を慈しめ。」と最期の言葉を遺す。それは父親がその父親から受け継いだ先祖代々の言葉である‥…。


 そうして親子の別れが終わると、息子は父親を剣で刺し殺す‥…。


今は廃れてしまったが、アラブの民はこうして族長を継承していった。
父親は子に身を以て試練を課すことで、部族を率いる責任と過酷な砂漠に生きる民の運命を教えるのだ。
悲しいけれど、なかなか潔い男らしい話しだと思う。男は仕事で戦死するか、風のように消えるのが相応しい。



 さて、死んだ父親は荒涼とした砂漠を旅するのではなく‥…乾きも空腹もない‥…緑豊かな道を何処までも歩いて行くらしい‥…。

(僕が息子の立場だったら‥…どうしよう。
何もかも放り出して逃げるかな‥…。逃げても夜の砂漠はめちゃ寒いし‥…。)

2009年11月15日日曜日

世界遺産にて。「ローマの夕ご飯」

 ”やっぱりビールは一杯目だ!”
一日の撮影が終わったレストランでスタッフがうまそうにビールや酒を飲むのを見ているだけで気分はいい。


ルッコラの前菜






 最近の飛行機は快適。それでも東南アジア方面なら数時間で目的地に着くので気分的に楽だが、これがアフリカ、南アメリカ方面になるとそれなりの決意がいる。例えばブラジルに行くルートはいろいろあるが、一泊のトランジットがない場合は、”日本からシアトルに行って自販機でコーラを買って再び成田に帰ってくる”ほどの疲れた気分になる。
そこからペルーやアルゼンチンへ足を伸ばすとなると、サンパウロでのトランジットが加わるから更にド〜ッと疲れる。南に廻るシンガポールからケープタウンへ行くのも同じ気分。これが経費節減でアエロフロートにでも乗ったら、喜望峰に着く頃には人格も変わっている。
しかしこの程度で疲れている僕はまだまだ修行が足りない。世界遺産の矢口キャメラマンは別の番組で西アフリカで撮影後、東京に戻って次の日にカイロに出発したという物凄い経験をしているのだから。


シンプルな野菜にホッとする


魚とか蛸とか。これは安くて美味しい。


 放送局は海外取材が多い。特に東京は海外と直結しているから、明日の飛行機を電話一本で予約してニューヨーク、ロンドンへの出張などは日常茶飯事。「行ってき〜ます」「おつかれで〜す」の挨拶で見送りはないが、それは簡潔でサッパリしていて気分がいい。でもこれがローカル局になるとそうはいかない。まるで出征兵士を送り出すような風情になってしまう。
僕が助手の頃は機材運び兼見送り要員としてよく伊丹空港に行かされた。取材班の編成は三人なのだが、ディレクターとキャメラマン以外に必ずやや老年の偉い人が同行していた。僕はこの人を通訳だと思っていたが、どうして撮影助手や照明マンを連れて行かないのか不思議だった。あるときこれは放送局では常識の「福利厚生」なのだと先輩に教えてもらった。海外旅行も自由に行けるようになった時代。それぐらい自分の金で行けよ!と思った若かりし助手時代。
最近はスポンサーも先刻承知で「この番組制作費は御社の福利厚生には使わないで下さいネ〜。」と一言。
とにかく税関の彼方に消えてゆく取材班を見送るとドッ〜と疲れるのだが、帰国時も同じお迎えの儀式が待っている。


シャーベット アイスクリーム


 海外取材に行かない人たちは様々な憶測を口にする。
「タダで海外取材にいけるのいいな〜。」「飛行機の中では酒を飲み放題。」「結構なホテルに泊まって豪勢な食事。」「普通の観光客では見れないところが見れる‥…。」



 ”そんなに言うなら貴様が行ってみろ”
僕たちは撮影という仕事が目的で旅行見物ではないのだ。昔の福利厚生的大名取材と違って予算的に贅沢などできないし興味もない。空撮をやめたり、クレーンなどの特機を諦めたりして予算のやり繰りをしている。食べ物も贅沢しているわけではなく、その国の普通のご飯を食べている。
スポンサーが出しているお金は途中で抜かれて制作段階で使える予算は雀の涙ほど。少ない制作予算でどうして他局を圧倒できる映像を撮れというのだろう。
一ヶ月位のあいだ休みなく撮影していて、取材が終わるまで意識のほとんどは撮影に費やされる。「世界遺産」という番組の映像はミリ単位の構図を要求されるのだから‥…。
ディレクターはもっと大変で、構成、編集、ナレーションに加えて清算、それも海外通貨を日本円に換算するややこしい作業がある‥…。

固い話しになったので参考までに、英国のBBCでは一つの番組を撮影するのに1年。日本を代表する放送局の場合は1ヶ月。TBSは1ヶ月で3本の制作。(笑)
それでも僕たちは素麺とみそ汁、どんべえとカップヌードルだけでもカメラワークはNHKに負けないと思う。最近は自信ないけど。(笑)

2009年11月14日土曜日

世界遺産にて。「ローマのお昼」

 最近、ブログの文章が暗いと批判あり。
で、手っ取り早く食べ物ネタです。

海外取材では撮影が始まるとご飯を食べている時間もあまりないので、取材先の近くで手っ取り早くサンドイッチなどで済ませている。(結構なボリュームですが。)
ローマの世界遺産は役所が管轄しているので時間が読めるのだが、時々、相手先の都合でポッカリと時間が空く時がある。以下はそんな時のあるレストランにて‥…。


モツアッレラと生ハム。

森のイチゴ。

薔薇パンのなか。

薔薇パンです。


15時ぐらいになると珈琲の時間。
どこの珈琲屋さんでもいいから入って、暫くの間、店員さんとお客さんの所作と距離感をボーと眺めていると、なんとなくイタリアに自分が馴染んでくる。

直径10cmのクッキー。夕方には完売になるとか。


パンの甘さはちょっと濃い目でなかなかよい。


キビキビ働く店員さん。

「また明日〜』と日本語で声をかけると素っ気なくうなずく。
それがなかなかいいのだ。

2009年11月8日日曜日

世界遺産にて。「ローマの朝ご飯」

 文章が難しいとの意見あり。で、それほど難しくないご飯の話し。
朝はホテルで食べるが、早朝撮影では現場の近くで済ませる。
一週間もするとその国の食べ物に馴染んでいくものだし体調も安定してくる。長期の不良は毎日口にするものに問題がある。
メキシコでは水。空港に着いて自販機のミネラルウォーターを飲んだ瞬間にちょっと不安になったが、ビルマの山奥で河の水を飲んだ俺だ!と思ったが、それから最悪の状態に‥…。
もう一つはウズベキスタン。綿花油に取材班全員がアウト。ラッパのマークの正露丸も太刀打ちできなかった。




エスプレッソとドーナツの甘さがほどよく気分がいい。
朝はどこの国でも同じ風が吹く。

2009年11月3日火曜日

世界遺産にて。「メール」

 世界遺産の取材期間は約一ヶ月。
最近は携帯も世界中で使えるし、今ではほとんどの国でインターネットが開設できて、取材先から写真付きメールを送るのも簡単。
日本からのメールはほとんどが業務連絡だけれど、放送局の友人から送られてきたメールはユニークで取材班みんなで大笑い。

そのメールは外国人が受けた日本語検定試験とその回答 」(実話)



問1 「あたかも」を使って短文を作りなさい。

答え: 冷蔵庫に牛乳があたかもしれない。


答: 「僕は、うどんよりそばが好きだ」

問3:「もし〜なら」を使って短文を作りなさい。
答: 「もしもし、奈良県の人ですか?」

問4:「まさか〜ろう」を使って短文を作りなさい。
答: 「まさかりかついだ金たろう」

問5:「うってかわって」を使って短文を作りなさい。
答: 「彼は麻薬をうってかわってしまった」


ダンテ先生はなんと仰るのでしょうか。

2009年10月23日金曜日

新幹線のお弁当

 出張で一番多い路線は東京、京都、大阪間。この移動時間がなかなかよくて居眠り、読書、打合せに最適の時間。で、列車の旅にはお弁当。21年間もの往復を繰り返し数々の失敗を乗り越え、著名な料理研究家、評論家の方々の意見を参考にさせて頂いたその結論は!

東京駅出発の場合は「まい泉の玉手箱」あるいは崎陽軒の「しゅうまい弁当」


崎陽軒シュウマイ弁当。
しゅうまいの柔らかさとタケノコ、かたい魚が緊張と緩和を演出している。

 新大阪出発の場合は水了軒の「汽車弁当」「大阪弁VS博多弁当」「八角弁当」「味遊楽」。仕事が上手くいった時には「赤飯弁当」とさすがに食の大阪、食い倒れの大阪。どれを食べても美味しいのでお弁当売場で迷いに迷う。

 京都駅出発の場合は雷が鳴っても、一電車飛ばしても絶対に「萩の家」のお弁当!
萩の家のお弁当を買うのは大変なので早めに駅に行かねばならない。というのは「萩の家」弁当売場はホームの一番端、博多寄りにあるから。
急いで新幹線に乗らねばならない時には、ほんとうにJRの悪意を感じる。コンビニみたいなJダイナーの弁当と比べたら味は月とスッポン。その差が歴然としているからJRは「萩の家」の売場をあんなホームの端に追いやったのだ。21世紀出陣弁当なんて勇ましい弁当を発売するなら、萩の家弁当と同じ売場で堂々と勝負してみろぃ!ぼろ負けは目に見えておる。客の事を一番に考えてみろ。旧国鉄!

 
で、スタッフだけの移動ではこの弁当以外に選択の余地はない。



世界に誇れる精進弁当。



高齢のプロデュサー、ディレクターが同乗の場合は鮎と鯛が登場。



若者スタッフの編成では、追求するのはボリュームのみ。


ゲストやレポーターの同乗ではかなり豪華になるのです。

京都の場合、かなり有名な料亭が注文に応じて、特別なお弁当を京都駅のホームまで届けて頂けるそうです。しかし一見さんは無理です。