2011年5月17日火曜日

フランクフルトにて。


欧州の著名なタイヤメーカーが実施した新型タイヤ走行テストにて。



電気自動車用に開発したものだが、
従来の車にも装着して走行が可能かどうかのテスト。


走行しているタイヤのアップを撮影するために、
自然とヘリは近寄ってしまった。
このシーンはいつの日かCMに使われるとか……。
撮影している僕はファインダーしか見ていないからいいのだけれど、
カメラ助手は怖かっただろう。



パイロットはドイツでも有名な人。映画やコマーシャルの撮影で引っ張りだこで、この撮影が終わったらフランスのニースとモナコでヨットの撮影があると嬉しそうだった。
ニースにはパトリースという心の底から優しい友人がいるのだけれど元気だろうか……ドゴール空港から帰国する時に彼は顔をクシャクシャにして泣いていた……20年も昔の話し……。


2011年5月10日火曜日

Ikegami HLV-55。


 10年ほど前に廃棄処分になっていたカメラだが、帳簿上は数年前に償却になったカメラ。
ボディーのサインは東大寺にYo-Yo-Ma氏が演奏に来られた時に書いてもらった。
確かインタビューの撮影で、MBSの高沖ディレクターの仕事だったと思う。彼が僕を紹介した途端、Ma氏が僕に向かって「君のような人は死んでは行けない……」という内容のことを話されたと思う……高沖君が何を言ったのかは謎。
 東大寺大仏殿でYo-Yo-Ma氏がPRESS用に演奏した無伴奏は本当に素晴らしかった。
今でもあの音色を忘れない……。



同じカメラの反対側には黒田征太郎氏の絵が……。
龍村 仁監督の番組で、阪神淡路大震災の復興チャリティーで絵を描かれていた黒田氏にご出演頂いたときのもの。黒田征太郎。いい兄貴だ……と思った。



「こんなカメラに描いてええんか!」
「お願いします。」
「世界に一台だけのカメラやね。サイン入れとくから……」

「黒田さんって、なんか兄貴みたいな匂いがしますけど……」
「うれしぃな!ほんならもう一枚描いたろ。」



 今も会社の入口に黒田さんの絵が掛けてある。
この絵を見るたびに、震災で崩れた風景と瓦礫の臭いが蘇り、灰色の街に沈んで行く太陽の朱を想いだす。


IXY、また一台が没。


もっぱらロケハンの記録に使っていたIXYがまた故障。
潰れたのはこのカメラで何台目だろうか。スイッチのON、OFFは頻繁、無造作に裸でポケットに入れていたり……。この辺は子供の時に虫をポケットに入れていた動作から進歩はしていないとつくづく思う。確かに異常な撮影枚数で、よく耐えているとは思う。



この種のカメラは「記憶装置」。
記者だったら原稿用紙と同じ。従って”使い潰し”は仕様がないと思う……。

問題はどうした理由なのか埃が入る。本番の撮影で使うカメラは埃を振動で除去する装置があるのだが、このような小型カメラは除去装置が無いので埃が入ると万事休す。



まるで病原菌のよな気持ち悪さ。 

どうしてゴミが侵入するのだろうか……埃の侵入しやすい構造になっているのか……。ゴミが入らなければ最高に使いやすいカメラなのだけれど……修理する時間も惜しいし……という事で新しいIXYを購入。

2011年5月9日月曜日

「世界遺産にて」奈良 東大寺。


奈良の世界遺産はとにかく奥深い。
一度や二度の放送で済ませることは不謹慎だと思う。テレビ的なピンポイントでの取り上げ方でいいのかと考えてしまう。道、建物、町並み、風情……それぞれが奥深い。この辺りの国の成り立ちと人の構えが、僕達の文化や習慣の基本となっているのだから……それぐらいの気持ちで撮影に取り組んでもいいと思う。














大仏さんは巨大である。だからといって光量の大きいライトを使いすぎると大失敗。大仏様にはヨーロッパ建築を撮影する時のライティングを応用しなければならない。






特機は緒方 拳さんから「レール屋!」と呼ばれた戸高さん。奈良、近畿、西日本の文化財は戸高さんにお願いすれば間違いない。戸高さんの趣味が釣り。鮎が解禁になる頃にはお裾分けもありがたい。











撮影スタッフの夕ご飯。







若草山から。
何度も撮影でこの山に登っているが、本当にいい「気」が感じられる。







若草山から生駒山を望む。
この場所から見る奈良は太古の人が見た風景と同じだと思う。
そんなことが感じられる場所が奈良には随所にある。






このアングルには恐縮