2009年11月16日月曜日

世界遺産にて。「父と子」イエメン。

 砂漠を旅する途中でこんな話しを聞いた‥…。

 族長を退いて息子に譲った父親は、荒涼とした砂漠の谷にある、小さな終の住処で静かな暮らしを始める‥…。

 部族を継いだ息子の統治手腕も満足に発揮され、反対派、懐疑派も一掃された頃、息子は父の住む谷間に向かう‥…。




 父親は息子が尋ねてくることを予見して、暖かなお茶を入れて待っている。それは父親が若き日に族長を継承した時と同じだから‥…。

 息子は父が入れてくれた茶をゆっくりと味わうと、幼かった自分を此処まで育て、導いてくれた礼をいい、父親は逞しく育った息子を讃え、健康を案じる‥…。

 そして「部族の繁栄を図り、なにより民を慈しみ、母や兄弟を慈しめ。」と最期の言葉を遺す。それは父親がその父親から受け継いだ先祖代々の言葉である‥…。


 そうして親子の別れが終わると、息子は父親を剣で刺し殺す‥…。


今は廃れてしまったが、アラブの民はこうして族長を継承していった。
父親は子に身を以て試練を課すことで、部族を率いる責任と過酷な砂漠に生きる民の運命を教えるのだ。
悲しいけれど、なかなか潔い男らしい話しだと思う。男は仕事で戦死するか、風のように消えるのが相応しい。



 さて、死んだ父親は荒涼とした砂漠を旅するのではなく‥…乾きも空腹もない‥…緑豊かな道を何処までも歩いて行くらしい‥…。

(僕が息子の立場だったら‥…どうしよう。
何もかも放り出して逃げるかな‥…。逃げても夜の砂漠はめちゃ寒いし‥…。)

2009年11月15日日曜日

世界遺産にて。「ローマの夕ご飯」

 ”やっぱりビールは一杯目だ!”
一日の撮影が終わったレストランでスタッフがうまそうにビールや酒を飲むのを見ているだけで気分はいい。


ルッコラの前菜






 最近の飛行機は快適。それでも東南アジア方面なら数時間で目的地に着くので気分的に楽だが、これがアフリカ、南アメリカ方面になるとそれなりの決意がいる。例えばブラジルに行くルートはいろいろあるが、一泊のトランジットがない場合は、”日本からシアトルに行って自販機でコーラを買って再び成田に帰ってくる”ほどの疲れた気分になる。
そこからペルーやアルゼンチンへ足を伸ばすとなると、サンパウロでのトランジットが加わるから更にド〜ッと疲れる。南に廻るシンガポールからケープタウンへ行くのも同じ気分。これが経費節減でアエロフロートにでも乗ったら、喜望峰に着く頃には人格も変わっている。
しかしこの程度で疲れている僕はまだまだ修行が足りない。世界遺産の矢口キャメラマンは別の番組で西アフリカで撮影後、東京に戻って次の日にカイロに出発したという物凄い経験をしているのだから。


シンプルな野菜にホッとする


魚とか蛸とか。これは安くて美味しい。


 放送局は海外取材が多い。特に東京は海外と直結しているから、明日の飛行機を電話一本で予約してニューヨーク、ロンドンへの出張などは日常茶飯事。「行ってき〜ます」「おつかれで〜す」の挨拶で見送りはないが、それは簡潔でサッパリしていて気分がいい。でもこれがローカル局になるとそうはいかない。まるで出征兵士を送り出すような風情になってしまう。
僕が助手の頃は機材運び兼見送り要員としてよく伊丹空港に行かされた。取材班の編成は三人なのだが、ディレクターとキャメラマン以外に必ずやや老年の偉い人が同行していた。僕はこの人を通訳だと思っていたが、どうして撮影助手や照明マンを連れて行かないのか不思議だった。あるときこれは放送局では常識の「福利厚生」なのだと先輩に教えてもらった。海外旅行も自由に行けるようになった時代。それぐらい自分の金で行けよ!と思った若かりし助手時代。
最近はスポンサーも先刻承知で「この番組制作費は御社の福利厚生には使わないで下さいネ〜。」と一言。
とにかく税関の彼方に消えてゆく取材班を見送るとドッ〜と疲れるのだが、帰国時も同じお迎えの儀式が待っている。


シャーベット アイスクリーム


 海外取材に行かない人たちは様々な憶測を口にする。
「タダで海外取材にいけるのいいな〜。」「飛行機の中では酒を飲み放題。」「結構なホテルに泊まって豪勢な食事。」「普通の観光客では見れないところが見れる‥…。」



 ”そんなに言うなら貴様が行ってみろ”
僕たちは撮影という仕事が目的で旅行見物ではないのだ。昔の福利厚生的大名取材と違って予算的に贅沢などできないし興味もない。空撮をやめたり、クレーンなどの特機を諦めたりして予算のやり繰りをしている。食べ物も贅沢しているわけではなく、その国の普通のご飯を食べている。
スポンサーが出しているお金は途中で抜かれて制作段階で使える予算は雀の涙ほど。少ない制作予算でどうして他局を圧倒できる映像を撮れというのだろう。
一ヶ月位のあいだ休みなく撮影していて、取材が終わるまで意識のほとんどは撮影に費やされる。「世界遺産」という番組の映像はミリ単位の構図を要求されるのだから‥…。
ディレクターはもっと大変で、構成、編集、ナレーションに加えて清算、それも海外通貨を日本円に換算するややこしい作業がある‥…。

固い話しになったので参考までに、英国のBBCでは一つの番組を撮影するのに1年。日本を代表する放送局の場合は1ヶ月。TBSは1ヶ月で3本の制作。(笑)
それでも僕たちは素麺とみそ汁、どんべえとカップヌードルだけでもカメラワークはNHKに負けないと思う。最近は自信ないけど。(笑)

2009年11月14日土曜日

世界遺産にて。「ローマのお昼」

 最近、ブログの文章が暗いと批判あり。
で、手っ取り早く食べ物ネタです。

海外取材では撮影が始まるとご飯を食べている時間もあまりないので、取材先の近くで手っ取り早くサンドイッチなどで済ませている。(結構なボリュームですが。)
ローマの世界遺産は役所が管轄しているので時間が読めるのだが、時々、相手先の都合でポッカリと時間が空く時がある。以下はそんな時のあるレストランにて‥…。


モツアッレラと生ハム。

森のイチゴ。

薔薇パンのなか。

薔薇パンです。


15時ぐらいになると珈琲の時間。
どこの珈琲屋さんでもいいから入って、暫くの間、店員さんとお客さんの所作と距離感をボーと眺めていると、なんとなくイタリアに自分が馴染んでくる。

直径10cmのクッキー。夕方には完売になるとか。


パンの甘さはちょっと濃い目でなかなかよい。


キビキビ働く店員さん。

「また明日〜』と日本語で声をかけると素っ気なくうなずく。
それがなかなかいいのだ。

2009年11月8日日曜日

世界遺産にて。「ローマの朝ご飯」

 文章が難しいとの意見あり。で、それほど難しくないご飯の話し。
朝はホテルで食べるが、早朝撮影では現場の近くで済ませる。
一週間もするとその国の食べ物に馴染んでいくものだし体調も安定してくる。長期の不良は毎日口にするものに問題がある。
メキシコでは水。空港に着いて自販機のミネラルウォーターを飲んだ瞬間にちょっと不安になったが、ビルマの山奥で河の水を飲んだ俺だ!と思ったが、それから最悪の状態に‥…。
もう一つはウズベキスタン。綿花油に取材班全員がアウト。ラッパのマークの正露丸も太刀打ちできなかった。




エスプレッソとドーナツの甘さがほどよく気分がいい。
朝はどこの国でも同じ風が吹く。

2009年11月3日火曜日

世界遺産にて。「メール」

 世界遺産の取材期間は約一ヶ月。
最近は携帯も世界中で使えるし、今ではほとんどの国でインターネットが開設できて、取材先から写真付きメールを送るのも簡単。
日本からのメールはほとんどが業務連絡だけれど、放送局の友人から送られてきたメールはユニークで取材班みんなで大笑い。

そのメールは外国人が受けた日本語検定試験とその回答 」(実話)



問1 「あたかも」を使って短文を作りなさい。

答え: 冷蔵庫に牛乳があたかもしれない。


答: 「僕は、うどんよりそばが好きだ」

問3:「もし〜なら」を使って短文を作りなさい。
答: 「もしもし、奈良県の人ですか?」

問4:「まさか〜ろう」を使って短文を作りなさい。
答: 「まさかりかついだ金たろう」

問5:「うってかわって」を使って短文を作りなさい。
答: 「彼は麻薬をうってかわってしまった」


ダンテ先生はなんと仰るのでしょうか。