特に日付変更線を超えて約一ヶ月後に帰ってくるとドバ〜ッと疲れる。寝ていれば回復するといっても、それほど寝てもいられない。昔から日本時間を取り戻すのに一週間では足りなかった。時差ボケを克服する為にいろいろ試したが、どれももう一つ。しかも帰れば帰ったで仕事をするしで、悪循環の典型みたいな状態。
そこで、辛くなったら携帯電話をもって会社を抜け出すことにしている。逃避場所は自転車で数十分の淀川河岸。夏草のムッとする草いきれのなか、大きめのバスタオルを広げて、虫が飛ぼうが横切ろうが関係なく、眠くなくても目をギュンギュンに閉じ、太陽をギャンギャンに浴びて寝ている。
午前中の堤防はまだ海からの風も残っていて、風も草も優しい。
夏休み。子供の私にとっては朝から晩まで遊びの毎日。楽しくて楽しくて、朝ご飯を食べると”夏の制服”「ランニング」に麦わら帽子。右手に虫かご、左手には昆虫網を持って天竺川の河原に一直線。その当時は草むらに一歩分け入ると、何匹もの虫が一斉に四方八方に飛び出す!そのなかから目的の虫を瞬時に見分けるのだから「動体視力」は抜群だった。
そんな毎日でも特に楽しかったのは父と行くキリギリス採り。
河原の土手というのは「鳴く虫の銀座」で、早朝から17時ぐらいまではキリギリスが独占して鳴いている。キリギリスは「チョン!ギ〜ス」と鳴く。この「〜」の長いのが優秀なキリギリスなのだ。
草の上で気持ちよく鳴いているキリギリスを見付け、そ〜っと近づいて長い枝の先に刺したトマトを近づけると、”オヤ”っという顔をしてトマトを見ながら鳴いているが、匂いにつられて”やれうれしや”という感じでしがみつく。そうなれば後は昆虫網で御用となる。30分ぐらいで虫かごは満杯、しかも結構な重さなのだ。
この採り方は父が子供の時に覚えたもの。目の前でキリギリスがどんどん採れるのだから、子供の私には父はスーパーマンに思えた。
父と子の関係構築にキリギリス採りは最高の機会でもあった。それは詰まり「直伝」になる訳で、「直に教わる」「直に見せる」、ちょっと格好良くいうと、”背中を見せる”かな。これは子供には強烈な誉なのだぜ。
むせ返るような草いきれのなかで寝ていると、その時の映像が鮮明に浮かんでくる。
夏草に覆われた無限に続く川の土手。そのシンメトリーの構図のなかで、父と小さな私がキリギリスを捕っている俯瞰の映像。
父がいろいろなことを教えてくれた‥…。
0 件のコメント:
コメントを投稿