中学で習うギリシャの歴史と崇高な美術史に触れてから、パルテノン神殿には淡いあこがれがあった。特に美術は合田先生という”本当の画家”が担当だっただけに、今でも先生の授業は忘れられない。「絵はモノの形がわかればよい」「目に焼き付くぐらいに被写体を見る」といった美術以外にも通用する教えを授けられた。
合田先生はよくポプラを描いておられた。
「春の日の花と輝く」は下校を知らせる音楽。帰り支度をして窓から運動場を見ると合田先生がキャンバスを前にポプラを見上げておられた。黒緑のポプラと麦わら帽子、校庭に伸びたポプラと先生の影が今も目に焼き付いている。
西洋美術を専門に学ばれた先生のギリシャ美術史は、哲学も適度に引用されていて「倫理」だ「論理」だと生意気に口走りはじめた年代には、段ボール程度の鎧ではあるけれど理論武装にはもってこいだった。その後、先生は高校で教鞭をとることになって退職された。
近くで見る神殿は荘厳であった。様々な戦渦をくぐり、修復での組み立てミスもあったけれど、そんなことには微動だにしないで立っている。
柱の組み立てミスは大昔のことですから。撮影が終わって振返ると、静まりかえった神殿は夕日を浴びて輝いていた。歴史的建造物に共通しているのは強い斜めの光を受けた時に、建物の骨格が一瞬見えるときがある。
長く伸びた神殿の柱の影をどこかで見たような‥…。一瞬、合田先生と麦わら帽子が見えたような気がした‥…。
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