すると「それ長崎やから、長崎のローカル局の守備範囲を侵害することになるからヤヤコしいで〜。」との答え。「隠密剣士みたいですね。他府県に行って撮影する時は地元の放送局にいちいち断るんですかね〜?」…。
結局のところ問題は出張旅費で、キャメラマンが番組を企画することなど”前例”がないので処理できない、取材の決定は記者部門から要請があって動くもので、取材要請が決まってもいないのに長崎までの旅費を申請できないと云うことらしい。
あんたが自分の財布から自腹を切るわけでもあるまいし、申請だ、発注書だとお役所みたいな言葉の羅列。前々から管理職諸氏に失望はしていたが、それなら構成を動く映像ではなくモノクロ写真にすればいいのだと考えて「それなら自分でいきますよ〜。」と年休を取った。
で、もちろん自費で、スチールカメラを持って軍艦島に上陸。
ところが、歩いても20分ぐらいで一周できる島は、1日や2日で撮影できる所ではなく、当然のことだが、番組で表現したい現代の住宅問題を象徴する為の、導入部や柱としてはめ込めるほど軍艦島とその歴史はそれほど単純なものではなかった。
明治時代後期の端島
今でも思いだすのは初めて見た人のいない街の恐ろしさ。巨大なアパート群、崩れかかった映画館、散乱した書類。一匹の犬と猫以外に人は誰もいない。風の通り過ぎる音以外は物音もしない、錆びついた島の風景に言葉を失って呆然と立っていた。
小学校校庭に置き去られた三輪車
本当にテレビ番組の企画を考えていたのだろうか。
正直に云うと報道の現場から逃避したかっただけで、究極の場所を求めていたのかも知れない。結局は番組などはどうでも良くなって、自力で写真展を開こう決心した。
これがスタッフキャメラマンを辞めようと考えた最初のキッカケだったかも知れない。
軍艦島は舟から撮影した写真は沢山あるのだが俯瞰の写真がない。そこで毎日新聞社航空部の友人に相談したところ、大村空港に有名なパイロットがおられると連絡を取ってくれた。
空からの機材はセスナでお願いし、今までの経緯をお話しすると「大村から軍艦島まで往復すると12万は必要だろう、だから全体の時間を短縮すればいいのだ。任せろ!」とT氏は力強い。いったいどのような飛び方をしたのかは以下の通り。
T氏が有名な零戦パイロット故坂井三郎氏の後輩で、ご自身も太平洋戦争ではエースだったということ。とても構図を決めて撮影などしていられなかったこと。空撮では絶対に酔わない僕が不覚にも気分が悪くなったこと。T氏にとってセスナという飛行機は、50ccのバイクみたいなものだということ。そして空撮の費用が¥57,000-だったということ。セスナから降りた時はフラフラだった……。
写真展の案内葉書。
振り返ると僕はいつの間にかこんなに遠くまで来てしまった。
人ごみのなかで軍艦島のことをふと想いだしてニヤッとすことがある。無人の軍艦は今日も長崎沖の海を航海中。僕はヨーソロ!と小さな声で叫ぶ。
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