5年は修行しなければならない撮影助手。その助手を五ヶ月という異例の早さで卒業したのは1975年5月5日。明くる日の6日に放送局の報道取材部に。K課長という凄腕大キャメラマンのもとで修行が始まった。野球の撮影ではホームランボールをバットに当たった瞬間からスタンドに入るまでを、ノーファインダーで追うことができる。それもボールを画面の真ん中においてなのだ!私は撮影済みのラッシュをみてビックリ仰天してしまった。もう一人、Hキャメラマンもそのカットを撮影できる人だった。他局のキャメラマン諸氏も二人のことを戦艦大和、武蔵と呼んでいた。この人たちが出撃すると私のような若輩など出る幕もない。結局、私はその撮影技術をマスターすることができず、今でも飛んでいる鳥を撮影する時など、そのことが悔やまれる。若いときには無理してでも様々な技術を経験するべきだとしみじみ思う。
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